今日も朝から台風の様な天気です。
連日書いている「幻のブルドーザー戦車」ですが、鳥取県に保管されている本に香取の開拓の様子を記録した物がありました。
この本なのですが、知り合いが「こんな本が有るよ」と教えてくれました。
本の中身は、
このようなスケッチで構成されていて、残念ながら写真では有りませんでした。
やはり、この当時は写真が高価で、なかなか取材で写真を撮るなんて事は簡単に出来なかった様です。
しかし、この当時、香取に入った方達がどんな生活していたのか、かいま見る事は出来ます。
そんなスケッチの中に、
ブルドーザー戦車のスケッチも有りました。
これはまさしくブルドーザー戦車です。
実際は、この絵の様に松の木をバリバリ倒していたという事は無かった様ですが、このようなスケッチが残っていました。
この当時は町中も静かで、大山の音が麓の米子の町まで聞こえたそうです。
そのため、大山の香取で動いていたブルドーザー戦車の音も麓まで聞こえたそうです。
米子に駐屯していたアメリカ兵達がこの音を聞いて、山の中で戦車の音が聞こえる!まだ日本兵の残党が潜んでいて、いつか襲撃しにくるかも?と思ったのか?香取までアメリカ軍が調査に来た事も有ったそうです。
そんな当時の丹羽さん達の写真が、
左から二番目の方が丹羽さんです。26歳だったそうです。
やはり写真は貴重です。
実際に見た形がそのまま映像になっているのですから。
ただ、この当時はカラーフィルムが無く、色が分からなかったという事が有ります。
模型を製作するにあたって、戦車をどんな色で表現するか?
これは、丹羽さんに直接聞いたのですが、「黄土色の様なカーキ色だった」という事を聞きました。
恐らく、97式戦車を迷彩に塗る際の陸軍で使用していた塗料の一つだろうと推測して、模型製作の時に2台ともダークイエローの様な色合いに仕上げました。
ただ、この色、一台はその通りの色だったのですが、もう一台の高座型の方は違う色だったというのが仕上げてから分かりました。
その連絡受けてから、全体を塗り替えましたが、展示する3日前の出来事でした。
米子ガイナックスの方から電話が有り、香取の住人に取材をした所、一台の戦車は確かにカーキ色だったそうですが、もう一台は緑色だったという情報が入りました。
香取住人の子供時代、実際にブルドーザー戦車に乗せてもらった事が有るという方に取材する事が出来たそうで、その方から一台は緑色だったという事を聞いたそうです。
この時点でジオラマはほぼ完成していて、2台ともカーキ色で仕上げていました。
でも事実と違うというのは明らかなので、3日もらって一台全部塗り替えました。
また、このへんの話はジオラマの製作話の時に詳しく書きます。
丹羽さんのアルバムの中に、北海道の「中山組」の写真もいくつか有りました。
エンジンの形状が良くわかります。
北海道の寒さからホロを作って取り付けてあります。
白い所は雪が積もっているようです。
こんな風に独自に改造してブルドーザーとして使用していた様です。
とても貴重な写真ばかりです。
三菱重工にもこのような写真は無いと思いますし、ブルドーザー戦車の図面すら無いと思います。
私の所にあるこれらの写真はもう他には無いとても貴重な写真になってしまいました。
今後も大切に保管しようと思います。
これで、香取の開拓の話は終わりとしますが、引き続き、「ブルドーザー戦車のジオラマ製作」の記事を書いて行きます。
このジオラマ製作が地獄でした。
続く!