阿波池田「禿頭」の酔っ払って候(元福寿司2代目)

ブログ開始9年目、75歳になった。家族、師、友にブログ通じ少しでも恩返しが出来れば幸いなり。

業とはなにか?

2015年10月13日 23時30分26秒 | 仏法
業突く張りとか因業親父とか言う言葉(若い方は使わないかも)の業は

悪いイメージがありますが、業それ自体には本当は良いも悪いもなく

その人の行いを云う言葉です、業すなわち行いと同意語と思っていいと

思います。仏教用語は本来の意味とは違って使われるのが多いと、青山先生の

CDにもあります。

仏教学(唯識)では

五感と意識を合わせた六感(六識)の底に、七識に末那識(無意識、これが自分だと思う

意識)、その奥に八識の阿頼耶識と云うものをおきます。

阿頼耶識は人の奥底にひそんでいるのですが、なにか行いをすると、つまり業を

つくると、阿頼耶識に種子(しゅうじ)として蓄えられます。生まれてから死ぬまでの

行いが種子として蓄えられますので、ときどき過去の良いこと悪いことが

意識にのぼるときがあるというわけです。

現代科学でいうと、DNAのゲノムと解釈しても良いと思います、仏教学が

ヨーロッパでも研究されるのは、インド人の思想の深さが現代科学でも

否定されないからと思います。

この種子は子孫に受け継がれます、まさしくDNAですね、自分の行いが

自分一代で完結しないで、子々孫々に影響を与えるわけです。まさしく

メンデル(?)でしたか遺伝の法則に合致しますよね。

ですから仏教はおもしろいんですが、もう酔いが回ってきました、

to be continued!

つづきものが多くなってだいじょうぶかな?



コメント
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