阿波池田「禿頭」の酔っ払って候(元福寿司2代目)

ブログ開始9年目、75歳になった。家族、師、友にブログ通じ少しでも恩返しが出来れば幸いなり。

野菜が残ってきたので、またまたマルタイの皿うどん。

2016年10月22日 23時14分30秒 | 日記

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ランチです、夜のご予約が一組さんでのんびり!

2016年10月22日 14時58分11秒 | 日記
家族はそれなりに忙しくしています。

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山下浩平氏に思うこと 2

2016年10月22日 00時28分00秒 | 日記
山下さんとそれほど多くはお話をする機会があったわけではありません、

年に数度お話し出来たかなの程度です、がこいつはわしが面倒みてやろうという

気迫が感じられました、お年は9才上の方でしたが、年齢差は気にならなくて

波長があうというのか、山下さんと私が共鳴する部分があると感じられたのでしょう、

それが氷見のブリであり、宴会のお寿司のご注文として現れたのではと思います。


山下さんがモラロジアンでお父様が阿波池田のモラロジーの先駆者であったというのは

ずーとずーと後で知ったことで、勿論私共夫婦がモロラジーの会員になる前のはなしであり

当時は仏教のお話をした記憶があります、モラロジーのモの字も知らない時でした。



それに一度も天皇陛下がお泊りになられた旅館であるということはちらっとも言われない

またそういうことを言うのが卑しいと思われていたふしがある、多分に山下さんの

性格に起因していたと思うのですが、

また司馬さんが、街道をゆくの中で、山下さんの事について書かれたことがらを

多少批判的に言われたのには驚きました、


私にとっては司馬さんははるか遠くの人で、尊敬している旨を伝えたのですが、

”なんだそれなら呼んであげたらよかったな、知らなかったよ”

と言われたのにも再度びっくりでした。



今思うに当時は須田画伯はご一緒だったのだろうか、お亡くなりになっていたのだろうか

今度山下さんに訊いてみたいところではありますが、どうでしょう?

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