「悪魔の百唇譜」を作品としてはどうか、なんて書いてしまいましたが、
「悪魔の百唇譜」は昭和37年に「推理ストーリー」という雑誌に連載された、
「百唇譜」という中篇を長編にしたものです。
参照:横溝正史エンサイクロペディア
http://homepage3.nifty.com/kakeya/ys_pedia/ys_pedia_index.html
『悪魔の手毬唄』が昭和34年に完結しますが、
それ以降の作品にみるものはほとんど無し、
というのが個人的な意見です。
雑誌「宝石」が昭和39年に廃刊になり、
ミステリプロパーの雑誌は他になかったのではないでしょうか。
そのころの作品ほとんど中間雑誌に連載されたもので、
ミステリというより、ミステリ味の風俗小説に近いのでは、と思います。
そんな中で意外にも「推理ストーリー」というミステリの濃さそうな雑誌に連載されていたのが
「悪魔の百唇譜」という事実にオドロキを隠せません。
「夜の黒豹」も同じく「推理ストーリー」連載でした。
上は昭和48年東京文藝社版の「夜の黒豹」です。
絵と装丁は村上豊です。
今みたら裏表紙にこんなアイコンが描かれています。
これは村上豊の絵ですが、
カー「夜歩く」の初版装丁の絵にそっくりなのは何故。
http://en.wikipedia.org/wiki/It_Walks_By_Night
「悪魔の百唇譜」は昭和37年に「推理ストーリー」という雑誌に連載された、
「百唇譜」という中篇を長編にしたものです。
参照:横溝正史エンサイクロペディア
http://homepage3.nifty.com/kakeya/ys_pedia/ys_pedia_index.html
『悪魔の手毬唄』が昭和34年に完結しますが、
それ以降の作品にみるものはほとんど無し、
というのが個人的な意見です。
雑誌「宝石」が昭和39年に廃刊になり、
ミステリプロパーの雑誌は他になかったのではないでしょうか。
そのころの作品ほとんど中間雑誌に連載されたもので、
ミステリというより、ミステリ味の風俗小説に近いのでは、と思います。
そんな中で意外にも「推理ストーリー」というミステリの濃さそうな雑誌に連載されていたのが
「悪魔の百唇譜」という事実にオドロキを隠せません。
「夜の黒豹」も同じく「推理ストーリー」連載でした。
上は昭和48年東京文藝社版の「夜の黒豹」です。
絵と装丁は村上豊です。
今みたら裏表紙にこんなアイコンが描かれています。
これは村上豊の絵ですが、
カー「夜歩く」の初版装丁の絵にそっくりなのは何故。
http://en.wikipedia.org/wiki/It_Walks_By_Night
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます