
そうでなくても過酷な種目なのに・・・なのにこの時期にやらなくても良さそうに思うのですが・・・主催者というか企画する方にとっては欠かせないんでしょうね。
「この種目だけ冬にやります!」というわけにはいかないんだろうか
実は私の大好きなサッカーだって日本の季節を考えたら7,8,9月はシーズンオフでも良いのに
やる側にとっては絶対そうだと思う
それでいてスポーツにとって丁度いい季節の1月2月が休みなんて少し変
完全に見る側の我が儘から来ているような気がします。
ローマの市民が剣闘士の戦いを高いところから楽しんでいるみたいな・・・やらされている側とは(もっともやらされていると感じたらだめでしょうが・・・)
ところで斯く言う私も我が儘な観衆の一人でして
サッカーの試合を季節と関係なく見たいし、マラソンにしたって朝7時からTVの前に陣取っていたのだから・・・
最近のオリンピックは夏に行われる・・・しかし東京オリンピックは確か秋10月10日でしたよね。
このあたりが真夏のスポーツと涼しい方が良い物との妥協点かもしれないですよね。
冬季オリンピックは物理的に冬でなくてはできないから問題ないけれど、夏の方は選手のコンデションなどを無視しているのでしょう・・・季節にコンディションを合わせろって。
だからオリンピックは運の強い人が勝つと言われる
さてそうは言いながら、「口では選手に同情しながら」でも見てしまう。
苦しそうに頑張っているのを応援してしまう。
多分日本人の特徴なのか、頑張る=苦しくても耐える=応援したくなる
そういえば昔元野球選手の張本勲氏が書いていた。
「日本人は頑張るという張った状態、ぎりぎりまで詰めた状態でないと・・・」そんなような話
彼の日本人と韓国人の勝負に当たっての構えの話だったと思う
彼は勝負に際しては「リラックス」が大事だからベルトを緩める・・・対して日本人はきつく締める・・・締めないと真剣で無いみたいに
だからこういうスポーツで軽々と・ごく当たり前な顔をして勝利する人は案外人気が出ないかな(マア人気は関係ないのだけれど)
ともかく苦しいのに頑張るところを見るのが好きなんだろうな
全く勝手な話ですが。
さて観戦後今日は図書館デーです(私の)
今日借りたのは
「目ハズシ定石」 名誉本因坊 坂田栄男 1989年
これは一度借りたことがあります。
一通りは読んで返したのですがまた読みたくなりました
マアこの本でなくてはならないと言うほどのことではないのですが、最近良く目ハズシを見かける気がするのです
私のよく対局するMさんは必ず「星+目ハズシ」だし、ほかにも数人
大体が私レベル(ほかの人も勝手に仲間に入れてしまいますが)だと得意と言うか手馴れた布石で立ち上がる・・・
だからMさんは「星+目ハズシ」私の場合は2連星、必ず黒番なら中国流の人もいるし数人は高目が好きな人もいる。
と言うわけで、自分の好きな形だけを知っていればいいのなら問題は少ないのですが、相手がやって来るのだから「ちょっと待って」とも言えないから、何度でも泥縄式で本を読みます。
マアどれほどの効果があるかは自信は無いけれど、やらないよりは良いでしょう
この本の中の「昔の目ハズシ」と言うコラムで面白い話が出ていました
目ハズシは江戸時代以前から打たれていた。
初代本因坊算砂と鹿塩利玄の碁に出てくると言いますから相当昔からある
あの本能寺の話に出てくる両人ですよね?
そして道策なども打っているし、高目とか大斜とかとも関連して発展していく
幕末頃では太田雄蔵が好んで打って、秀策との棋譜紹介されている・・・
ともかく奇を衒った打ち方ではなく、ともかく好み・作戦ではあるに違いない
しかしなれないと受け損ない、あるいは自分で損な対応をしそうでなんだか危ない臭いが漂うのです。
本当は自分が信頼できないので何だか気持ちが悪いのです
