なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

抱負の次は戒めを

2008-01-04 18:10:46 | Weblog
 年の初めにみなさんから見たら極ささやかな抱負がありまして、それは既に書きましたが、抱負も三日坊主にならないように何度も繰り返す方がいいかもしれないのでもう一度書くと「今年は、コミで3目程度アップしたい」ということです。
 マア、抱負と目標の区別は定かではありませんが、一年間こんなことを考えながら打ちたいと思ったわけです。
「嘘も100回唱えれば本当になる」みたいなお呪いです。
 抱負と言うか願望としては毎年毎年棋力アップが第一ですが、それがどの程度できたのか、あるいは後退したのか結果を確かめる具体的な形がありません。
 自分で一年を振り返って見たときに「なんとなく自信がついた」とか「余裕を持って碁盤が見られる」とかの感想を持てることを持って棋力のアップとしても良さそうですが、それではいかにも自分に都合よく解釈できそうです。
 そんなことで今年はコミで3目くらい
  どういう尺度かと言うと、ネット碁で上下する点数の変化の中心線みたいな点数で3点と言うことです。
 模式的に点数はサイン曲線みたいに上下するとしてその変化の中心線です
  多少の心配が無いでも無い、、、すぐ他人のことを考える悪い癖ですが、
 ネットの全体のレベルの変化・これは所属している人のレベルアップと言う、所謂ネットの底上げみたいな部分、あるいは新しいメンバーが入った時(新しい人が増えないと困りますが)に生じる変化。
 そういうものを考慮したら初めの目標自体が成り立たないので、ともかくコミ=点数で3点!
  多くの人は「なーんだ!」と思うでしょうが、概ね段位にしたら4分の1に当たる階段の高さです・・・この年なら充分躓くくらいのハードルです
 1年にコミ1目だって10年余り続けば1段に相当するのですから、この年令では楽とは言えないかも知れません。
  年の初めの目標はそういうことで、そのために何をするか・・・
   そこが問題です、サテどうなることやら

 目標の次ぎは,一年間注意すること・・・
  ここのところ数年はいつも年の初めに注意しなければいけないと思うことがあります。
 それ程たいしたことではありません
  「思う」「考える」「・・・だ」をキチンと使うこと
  話をすること、他の方のブログにお邪魔する時に
 「なーんだレベル低ゥー」と思われるでしょうが・・・事実そうなんですが
  以前他のブログを書いていまして、「愛染町物語」というチベットとかヒマラヤの山奥みたいに寂しいところでして・・・
 ある書き込みを戴きました・・・「書き込み」は嬉しいですよ、本当に珍しいお客さまですからね。
 しかしショックでしたね
 その前に「愛染町」の説明をしますと、私が生まれて直ぐに引っ越してきて中1まで約13年間暮らしたところです。
 今の私の原点みたいな場所ですで、つい最近まで本籍地をそこに置いたままにしていました。 
 ブログの名前のaizomechouもそれにちなんでいます、もっとも自分では「愛染」「藍染」「逢染」を兼ねているつもりですが。
 その中で当時一部の区間国道1号を走っていた路面電車に乗って保育園に通った話を書きましたところ・・・先程のコメントと戴きました
 「新清水ー新静岡間に静岡鉄道は走っていますが、国道1号には路面電車は有りません。よく調べてください」とある。
 御丁寧に鉄道のパンフレットまで添付されているから親切ではある、しかし
 軽いショックを受けました。
 私の体験に基づいて書いたことを否定されてしまった事もさることながら、ご自分の書いていることには何の疑問点も感じていないらしい・・・
  マアきっと若い鉄道マニアみたいな人が親切に教えてくれたんでしょう
 事実清水が台風で大きな被害を受けたときに廃線になっていますから、その時以後は路面電車はないわけですから
  通園もそうですが、子供時代に映画を見に行くにも、港に行くのもこの電車でしたから、思い出までも否定されかねないような感じでした。
 それはともかくそんな経験からも「・・・だ」「・・・です」と言い切るときは余程注意が必要だと再認識したものです。
 
 勿論他の方からコメントを戴くのは嬉しいです、閲覧数ではなくて「読んでくれている」という喜びを感じます。
 他の方の楽しいブログにはコメントを送りたくなります・・・その時が先程の注意ですね。

 こういうのって、ブログのコメントとは少し違いますが「囲碁の感想」にも有りませんか?
  だいぶ違うかも知れませんが
 他の人の着手に「良い」「悪い」をはっきりコメントできる人・・・
 「良い」はともかく「悪い」は余程自信が無いと言えませんね
   プロ棋士くらいの実力があるわけで無し・・・
 「・・・と思う」「・・・と感じる」>それは自信の無さの裏返しでもある
 「詰め碁」の生き死に・急所なら言える時もありますが
 「このあたりで打ちにくくしたかも知れませんね」・・・くらい

 戒めは自分に対してです、コメントをいただけると嬉しいです。