なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

三日坊主二日目

2008-01-06 16:24:24 | Weblog
 三日坊主もまだ二日目ですから出だしの勢いで、棋譜入力を続けています。
 マア水泳で言えば勢い良く飛び込めばそのままの勢いでプールの横断の半分くらいまでは行きそうな感じですから、二日続いても威張れません。
 これが四日以上になれば文字通りの三日を越えるわけで、自分でも『おやッ?』となって行くでしょうね
 ただ、昨日も話したように「棋譜並べ」ならぬ「棋譜入力」ですからどれほどの
学習的効果があるかわからないこと・・・それと
 最初にテキストにしたのが江戸時代の棋譜ですから、そこのところも『これでいいのかな』と疑問を感じながらやっています。
 それでも『やらない方が良かった』は無いだろうと開き直っています。

 私が理想の棋譜並べだと思うのは両者に悪手らしい悪手が無いことが一番だと思っています。
 プロレベルで細かな論議があっても、アマとしては勿論パスして「ひたすら並べる」・・・それが理想だと思っています。
  
 一局を通して何の問題も無い棋譜と言うのも無いものねだりみたいな気もしますから、少なくとも中盤の途中までは<問題点無し>はともか「これも一局」と言うような手で進行しているのが良いですね。
  当然短い期間に数局並べただけで効果があるとは思っていません・・・そこまでは厚かましくは無いつもりです。
 若い人あるいは才能に恵まれている人ならいざ知らず、やっているのが私ですから最低でも数年かかるかかなとは思っています。
 目標としては年に数目進歩できればいいなとは思っていますが、実際にはそれなりに効果を期待するにはかなりの年月が必要でしょう。
 年月をかければ良いかどうかと、最初の話に戻って「正しい方法」かどうかという・・・

 まあ、何らかの効果は期待できる仮定で・・・
  先程の「年月」の問題
 私としては5年くらいやれば少しは積み重ねとしては好いかなと思っている
  あまり確かな話ではありませんが」、唯一自分自身に関しては根拠らしいものを感じているのです。
 と言うのは私の囲碁の出発点・・・というかプレ囲碁時代と言うべきか
  毎日新聞の囲碁欄を見ていた時代がありましたが、それは将棋欄のついででわけも分からずに読んでいた頃、これが6年以上は続いていた。
 その結果知らない間に囲碁が打てるように成っていた
  勿論稚拙で、もし級位認定を受ければ2桁は間違いないのですが、それでも生き死にとか地の数え方・終局のしかたを知っていた。
  要するに今度の棋譜並べは二匹目のドジョウみたいなものです
 同列に考えること事態が無茶かも知れませんが、「良い」棋譜をひたすら並べることに期待してしまうのです。
  
 棋譜並べは「味わう」とか「考える」事は理想であっても、現実はどうだろうか、、、いや私としては、、、畳の部屋で書見台に棋譜を載せ、碁盤の前に正座して一手一手並べていく、、、あのイメージは出来そうも無い。
 高級料理とナンチャって料理、高級食材とフェイク食材の区別が出来にくいように、味わうと言う方面は出来そうも無い。
 プロの棋譜の真髄には触れられないとして、質を量で補おうと言うのが「ドンドン並べる棋譜」と言う感じですね。
 「普通」と言う感覚に慣れておくというか・・・
  そういう意味では、本来なら解説は大事でしょうね
 棋譜欄に変化図・解説が添えられている
  
 初めて選んだ道的の棋譜はこの点が微妙です
 冒頭の棋譜は、「出来として悪い」とか
 二局目の道策との2子局は「辺に偏る傾向があって、立体感として問題」などの説明がある
  総じて「構想」と言う概念が希薄・・・しかし読みの裏付けはかなりという解説もある
  棋譜を追うと、小目に小ケイマかかり、大ケイマ受けあるいは2間挟みが多いですね・・・
 今のネット碁(ザルクラス?)には殆ど出て来ない形ですが、マア乗りかかった船、スタートは古風な棋譜です。