今週もまた、コミュニティセンターの図書館に行ってきました。
本は2週間借りられるのですから、2週間に1度行けば良いのですが、最近は読み進め易い本を借りているためでしょうね、どうも次から次へ借りなくてはいけないみたいです。
そういうことで、今週はハードカバーの分厚い本を4冊借りました。
それとは別に囲碁関係は2冊です。
こちらの方は、割合にやさしそうな本・・・と言うか基本を見直す意味合いの本です・・・表現がおかしいかも知れませんが。
図書館では囲碁の本棚の前で、「趙治勳傑作選」にしようかなと迷ったのですが、未だチョウ・フニョンさんの語録と巻末棋譜に取り組んでいるので、それが終ってから借りることにしました。
それともう一つは、「基本に帰る・基本を確認」することは当然自分のためでもあるけれど、職場などで置かせる碁を打つ機会もあるので、「基本」を意識した上で打たなくてはいけないと思っているからでもあります。
素人ですから、何ほどのこともできないし、ましてや何か口にしたとしても、相手に理解して貰う、納得するような、ためになるようなことは言えそうも無いのですが、マアそれなりに基本を意識した碁を打つということで、もしかしたらいくらかか役に立つかもしれない・・・
「打ってはいけない手辞典」 平野正明の碁スクール3 2003年
先週借りた本のシリーズです
既に10冊くらい刊行されているらしいのですが、図書館の本棚にはシリーズのうち3冊が並んでいました。
内容は中級向けぐらいですから、難しいことは書いてありません
でも大事な事が理解しやすい形で・・・文章として・碁盤の図柄として分かり安く説明されていると思うのです。
ですから、説明の図を見て、タイトルを読むだけでも為になるはずだし、お経みたいに唱えるのもありそうです。
しかし、この分かりやすさが曲者かもしれないとも思う
いや著者の問題ではなくて、読み手のほうの問題としてです
私ら教わる側の素人の問題・・・読み手になる・受け手になる以前の問題としてです
人は皆・・・というと悟ったように聞こえますが・・・「やさしいことは良いこと」だとは思いつつも、やさしい事は余り重要なことでは無いような錯覚がありそうです。
基本を軽視する傾向がありはしないだろうか?
やさしいことは低く見て、難しいことを高く見るみたいに
ですから基本をおろそかにしている割には、小難しいことに拘るとか、あるいは、やさしいテキストを与えられると馬鹿にされたような感情を抱いたり。
この本の章の中の、テーマごとの言葉が良いですね
皆、当たり前と言うか、珍しいものは無いのですが、、、この言葉を並べてみると、こういうことを普段何も考えずに当たり前のこととしてやっているはずだと、少し感心してしまいます(考えていることがおかしいかな?)
[序盤戦]
上から攻めるな、 白の狙いは?、 一本調子で囲うな、 後手を引くと負け、 強い石を切るな、 分断を忘れるな、 利かしを忘れるな、 三3を空けるな、 ポン抜き30目?、 逆がかりに注意
[中盤戦]
攻めの急所を間違うな、強い石と弱い石を見分けろ、死んでも止めろ、岩をたたくな、ノゾキはツグな、 用済みの石は逃げるな、 シッポ切りはするな、 ギリギリまで切るな、
[終盤戦]
切りを忘れるな、 アタリアタリのヘボ碁かな、 眼とりを忘れるな、 ゆるむと負け、 死活の急所を間違うな、 よく間違える隅の死活、 後手オサエに注意、 気がつきにくいハサミツケ。
しつこく全部書いてしまいました。
全部と言っても、これだけでは無いでしょうが、、、それぞれに条件がついての話もあるから、言葉通りではないものもありますが・・・
これらを呪文のように唱えながら碁を打つわけでは無いにしても・・・実戦のさなかこれらを頭の中で唱えるのも良いかもしれません、、、唱えなくても感覚的に自然に打っていることも多いでしょうが。
でも、言葉にして整理しておくこともいいかも知れませんね
私はこの中で一つ特に印象に深い言葉がありました。
「死んでも止めろ」です、、、実際に死んでもよいかどうかではなく、「ここはこう打つ一手」みたいな場所はあります。
ですからどう打つかを迷うのではなく、打った後のことだけを考える。
そういう場面には時折ぶつかりますね。
死んでもそう打つ・・・結果、死んでしまって負けるのなら、所詮その碁は負け碁である、みたいに・・・
こういう事って、経験から言うと下手の人には意外と理解されないみたいですね
例えば、そういう決断の元に打った手が敗着に見えたりするとします、そういう時「案外乱暴なことをするのですね」みたいに言われる事がある。
しかし、「そう打たないと形にならない」ようなところはあるはず。
置かせる碁などで、ツケにはハネよというところで、切られて怖いのでノビたりする人がよくあります。
勿論ハネたためにそこを切られて苦戦することはあります。
しかし、読みの結果の着手ではなくて、怖くてノビるみたいな気合の悪い手では・・・
自分の碁を振り返ってみると、時に乱暴な碁のように言われることもありますが、「プロの真似」であろうが「経文通りに、眼を瞑って打つ」・・・そういうことでたいしたことは無いけれど今の棋力まで来た様に思っています。
「形」に打ってもダメ時、「形」にならない時、、、それ以前に問題があり、どう打ってもダメな碁でしょう。
今日借りたもう一冊の話はまた明日。
本は2週間借りられるのですから、2週間に1度行けば良いのですが、最近は読み進め易い本を借りているためでしょうね、どうも次から次へ借りなくてはいけないみたいです。
そういうことで、今週はハードカバーの分厚い本を4冊借りました。
それとは別に囲碁関係は2冊です。
こちらの方は、割合にやさしそうな本・・・と言うか基本を見直す意味合いの本です・・・表現がおかしいかも知れませんが。
図書館では囲碁の本棚の前で、「趙治勳傑作選」にしようかなと迷ったのですが、未だチョウ・フニョンさんの語録と巻末棋譜に取り組んでいるので、それが終ってから借りることにしました。
それともう一つは、「基本に帰る・基本を確認」することは当然自分のためでもあるけれど、職場などで置かせる碁を打つ機会もあるので、「基本」を意識した上で打たなくてはいけないと思っているからでもあります。
素人ですから、何ほどのこともできないし、ましてや何か口にしたとしても、相手に理解して貰う、納得するような、ためになるようなことは言えそうも無いのですが、マアそれなりに基本を意識した碁を打つということで、もしかしたらいくらかか役に立つかもしれない・・・
「打ってはいけない手辞典」 平野正明の碁スクール3 2003年
先週借りた本のシリーズです
既に10冊くらい刊行されているらしいのですが、図書館の本棚にはシリーズのうち3冊が並んでいました。
内容は中級向けぐらいですから、難しいことは書いてありません
でも大事な事が理解しやすい形で・・・文章として・碁盤の図柄として分かり安く説明されていると思うのです。
ですから、説明の図を見て、タイトルを読むだけでも為になるはずだし、お経みたいに唱えるのもありそうです。
しかし、この分かりやすさが曲者かもしれないとも思う
いや著者の問題ではなくて、読み手のほうの問題としてです
私ら教わる側の素人の問題・・・読み手になる・受け手になる以前の問題としてです
人は皆・・・というと悟ったように聞こえますが・・・「やさしいことは良いこと」だとは思いつつも、やさしい事は余り重要なことでは無いような錯覚がありそうです。
基本を軽視する傾向がありはしないだろうか?
やさしいことは低く見て、難しいことを高く見るみたいに
ですから基本をおろそかにしている割には、小難しいことに拘るとか、あるいは、やさしいテキストを与えられると馬鹿にされたような感情を抱いたり。
この本の章の中の、テーマごとの言葉が良いですね
皆、当たり前と言うか、珍しいものは無いのですが、、、この言葉を並べてみると、こういうことを普段何も考えずに当たり前のこととしてやっているはずだと、少し感心してしまいます(考えていることがおかしいかな?)
[序盤戦]
上から攻めるな、 白の狙いは?、 一本調子で囲うな、 後手を引くと負け、 強い石を切るな、 分断を忘れるな、 利かしを忘れるな、 三3を空けるな、 ポン抜き30目?、 逆がかりに注意
[中盤戦]
攻めの急所を間違うな、強い石と弱い石を見分けろ、死んでも止めろ、岩をたたくな、ノゾキはツグな、 用済みの石は逃げるな、 シッポ切りはするな、 ギリギリまで切るな、
[終盤戦]
切りを忘れるな、 アタリアタリのヘボ碁かな、 眼とりを忘れるな、 ゆるむと負け、 死活の急所を間違うな、 よく間違える隅の死活、 後手オサエに注意、 気がつきにくいハサミツケ。
しつこく全部書いてしまいました。
全部と言っても、これだけでは無いでしょうが、、、それぞれに条件がついての話もあるから、言葉通りではないものもありますが・・・
これらを呪文のように唱えながら碁を打つわけでは無いにしても・・・実戦のさなかこれらを頭の中で唱えるのも良いかもしれません、、、唱えなくても感覚的に自然に打っていることも多いでしょうが。
でも、言葉にして整理しておくこともいいかも知れませんね
私はこの中で一つ特に印象に深い言葉がありました。
「死んでも止めろ」です、、、実際に死んでもよいかどうかではなく、「ここはこう打つ一手」みたいな場所はあります。
ですからどう打つかを迷うのではなく、打った後のことだけを考える。
そういう場面には時折ぶつかりますね。
死んでもそう打つ・・・結果、死んでしまって負けるのなら、所詮その碁は負け碁である、みたいに・・・
こういう事って、経験から言うと下手の人には意外と理解されないみたいですね
例えば、そういう決断の元に打った手が敗着に見えたりするとします、そういう時「案外乱暴なことをするのですね」みたいに言われる事がある。
しかし、「そう打たないと形にならない」ようなところはあるはず。
置かせる碁などで、ツケにはハネよというところで、切られて怖いのでノビたりする人がよくあります。
勿論ハネたためにそこを切られて苦戦することはあります。
しかし、読みの結果の着手ではなくて、怖くてノビるみたいな気合の悪い手では・・・
自分の碁を振り返ってみると、時に乱暴な碁のように言われることもありますが、「プロの真似」であろうが「経文通りに、眼を瞑って打つ」・・・そういうことでたいしたことは無いけれど今の棋力まで来た様に思っています。
「形」に打ってもダメ時、「形」にならない時、、、それ以前に問題があり、どう打ってもダメな碁でしょう。
今日借りたもう一冊の話はまた明日。