なんとなく囲碁夜話

私は囲碁が好きだ。初めはなんとなく、ニアミスを繰り返し、深みに嵌ってしまった。

囲碁はザルでも楽しい

2008-03-30 15:09:36 | Weblog
 今日は日曜日ですが、忙しい一日
 と言っても主にTV観戦ですから、リビングのTVの前に居座ることになる。
  普通ですとこの行為は家族の顰蹙、とりわけ女房殿に文句を言われる・・・「目を悪くしますよ」「外にでて少し歩いてきたら・・?」
  家で立ての物を横にもしない亭主は30年以上”耳タコ”
 しかしJの試合なら、この言葉は無い
  あちらは私以上に観戦が好きだから、今日みたいに一日に9試合組まれている日は大変なのです。
 午後1時試合開始、2時試合開始、3時開始、4時開始、7時開始
  それぞれ約2時間かかるから、隙間は6時から7時の間1時間
   夜9時以降だって速報だの、振り返り番組がある
 だから、TV地上波、BS、スカパーと大忙し
  「但し!」自分の贔屓チームが負けてしまうと観戦熱も萎えてしまう
 もう他の試合はどうでもよくなる
  極端に言うと「自分の故郷のチームも、地元チームも出ていない選抜野球というか」・・・興味が、、、
 少なくとも2,3日はそういう状態になる
  だから、話題からサッカーが消える
 そう考えると、私のは種目としてサッカーファンなのか、単に贔屓チームの応援しているだけなのか大いに怪しいところがあると自分でも考えてしまう。
 尤も女房殿は、そういう状況と関係なく観戦しているのだから、あちらの方が筋金入りなんでしょうね。
 マア、仮に贔屓チームが負けたとすると・・・TVの前に居る意味が無いので、自室に籠もって(家庭内引きこもり状態で、食事・入浴・トイレ以外は・・・)本を読むかネットで碁を観戦するか、対局するかのどれか。
 この辺りが、同じ勝負を争うものでも見る趣味とやる趣味の差かも知れない
  自分でやるものなら、負けても負けても、悔しいと思うことはあっても嫌になることは無い
 ところが見る方のスポーツは結果如何ではフラストレーションがたまってしまう
  
 ですから、自分で打つほうの囲碁
 負ければ負けるほどのめりこんでいったところがある。
 囲碁の持つ奥深い魅力と言う言い方もあるけれど、それは当然としても、ヤヤ澄ました表現で、実態は負かされれば負かされる程深みにはまって行った。
 これがザルの来歴なんでしょうね
  ということは、競馬とかパチンコとかを続けていなくて良かったということになりますね。
 コノ種目で”負ければ負けるほど”は我ながら恐ろしいです。
  尤も、競馬に関して言うと”見る”と”やる”の違いがあるし、パチンコにしても最近のものはコンピューター制御されているはずだから、一見”やる”遊びに見えて、実は結果をコントロールされている居るという意味で、実態は自分でやっているということから離れているような・・・

 そういう意味で、囲碁でザルになった理由と言うか、経過と言うか、、、
 ともかく何十年も飽きずに打ち続けているのです。
  ザルでも楽しい?・・・いえ、ザルだからこそ楽しいのでしょうね。
  ザルですから、勝った負けたとお釈迦様の手のひらの上で騒いでいるのが結構楽しい。
  もしも、コノ姿をTVで見ることが出来たら・・・TV観戦みたいに熱が醒めてしまうかも・・・そう思いながらも気持はHOTなところがザルたる由縁。