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20世紀絵画
-モダニズム美術史を問い直す-
宮下 誠著
光文社新書234(2005/12)
私たちは、ある絵画作品に出会い、そこに何が描かれているかを「再認」しえたとき、その絵を「わかる」という。しかし、なぜそれほどまでに私たちは絵を「わかろう」とするのだろうか?
20世紀に描かれた絵画は、それ以前の絵画が思いもしなかった無数の認識をその背景に持っている。そして、絵とは具象/抽象の如何にかかわらず、作家のアイデンティティ、或いは民族のアイデンティティと深く結びつき、時代を映す鏡となり、私たちの「鏡像」となっているのだ。
本書では「具象/抽象」「わかる/わからない」の二元論に終止符を打ち、《旧東独美術》も視野に収めた新しい解釈パラダイムを提案する。
TAKさんのBLOGでの紹介で手にとって見た。なかなかの難解ですが好著。
少しは20世紀絵画がすこし「わかった」ように気になる。作家のアイデンティティという意味では、例えば、セザンヌの描いた絵画の主題についての解説には、目を開かされた。「カード遊び」は「メメント・モリ(死を思え)」の系譜上にある。「大水浴図」の構図は教会のようにも見え、セザンヌの信仰の告白であるという。昨年7月にフィラデルフィア美術館を訪れたとき、大水浴図」は、回廊の最後の円形の噴水の先に祭壇画のように飾られていた。今、はじめてその意味が「わかって」きた。
ムンクの「マラーの死」についても女性に対する根深い不信感が描かれていると触れられている。もう一度、29日にも出光美術館でまじまじと鑑賞したが、なるほど出光が今飾られている三点はムンクの心情の変化を表している。
ダリ『茹でた隠元豆のある柔らかい構造(内乱の予感)』「抽象的な風景のせいでモニュメンタルな立体性ばかり目立つ。」また、「ダリのセクシュアリティ・エロティシズムは、バタイユ的な意味で、崇高と直結する。その具象性は限りなくなまめかしいが、それは高度に観念化されたセクシュアリティ・エロティシズムに裏打ちされている。」という。フィラデルフィア美術館のこの作品の前で、多くの人が記念撮影をしていた。やはり、皆、なにか崇高なものを感じるのだろうか。
しかし、やはり抽象絵画は、「わからない」。マレーヴィチ、シュヴィッタース、クリスト&ジャンヌ・クロード。。。。「まなざし」で「さわる」。「キュビズムの静物好み、新即物主義、「ものそのもの」との直接的な接触から巧妙巧緻に疎外されていった20世紀の人々の不安と挫折感を描く特権的象徴かもしれない。それは実存の哲学者ハイデガーをして人々に「ものそのもの」の存在性に覚醒し、ものがそこにあることに喫篤するように警告させた20世紀。」などといわれていると、さっぱり判らないのも当然かもしれない。
たとえば、マレーヴィチ「黒い正方形」というのは、あまりに観念的。当時の時代を反映しているのか。民族のアイデンティティなのか。あまりに抽象的で、感性ではなにも想像できない。やっぱり「わからない」。時空を超えては伝わらないあまりに抑制した表現では。「メディアの法則」ではないが、コミュニケーションは、ビットが正しく伝われば相手に伝わるというものではなく、ノン・バーバル・コミュニケーションなど右脳的な要素が重要であり、それをあまり抑制して排除した絵画、メディアというのは実験ではあるが、「わからなく」て当然かといいたくなります。(右脳に訴えてばかりでは、単なるハリウッド映画かワイドショーかイリュージョンですが。)
逆に、本書で感じたのは、「神が死んだ」以降も、やはり「神」が絵画の中の重要な主題であるということ(だけはわかったというべきか)。さきほどのセザンヌの「大水浴図」からオットー・ディックスの祭壇画風の「戦争」まで。さらに本書では触れられていないが、マティスのロザリオ礼拝堂やシャガール美術館にある「聖書のメッセージ」など画家は晩年は信仰に回帰するのかと、以前ニースを訪れ、ふと感じたことを思い出した。絵画は自己の鏡ということのようだが。。。
宮下氏はさらにこのようにも述べている「抽象への道を用意したゴッホはオランダ人、ピカソはスペイン出身、マレーヴィチやカンディンスキーはロシア、モンドリアンはオランダ人である。神の姿を書くことを禁じたイスラム、ビザンティン文化、幾何学と2次元の造詣を展開したエジプト、そして偶像を禁止したユダヤ。ヨーロッパは、抽象に囲まれている。抽象とはどこか、不自然に厳格な宗教的規律を思わせる。ヨーロッパはそこに、古代ギリシアに淵源した「人間性」という感傷的で不遜でもある「ものがたり」を対置させ、抽象の奔流に対抗してきたのではないか。」と書いている。「ヨーロッパとは何か」、宗教・哲学をきちんと理解しないと、やはり絵画は理解できないようです。
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目次
はじめに
序章 『モナリザ』も『黒に黒』もわからない?
第一章 抽象絵画の成立と展開
マネ『オランピア』/
モネ『陽を浴びる積み藁』/
ファン・ゴッホ『黄色い家』/
ゴーガン『タ・マテテ(市場で)』/
セザンヌ『大水浴図』/
ピカソ『アヴィニョン街の娘たち』/
ブラック『ヴァイオリンと水差し』/
マティス『河辺の浴女たち』/
カンディンスキー『コンポジションV』/
クレー『チュニジアの赤と黄色の家』/
マレーヴィチ『黒い正方形』/
モンドリアン『コンポジション』/
シュヴィッタース『メルツビルト三二』/
ポロック『ラヴェンダー・ミスト』/
ロスコ『ロスコ・チャペル壁画』/
ステラ『恐れ知らずの愚か者』/
クリスト&ジャンヌ=クロード『包まれたライヒスターク』/
レト・ボラー『無題』
第二章 具象絵画の豊穣と屈折
ベックリン『死の島』/
ムンク『叫び』/
クリムト『公園』/
デ・キリコ『街の神秘と憂鬱』/
キルヒナー『ベルリン、フリートリヒシュトラーセ』/
マルク『動物の運命』/
ベックマン『夜』/
デュシャン『おまえはわたしを(Tu'm)』/
マティス『装飾的人体』/
ディックス『戦争』三連画/
ダリ『茹でた隠元豆のある柔らかい構造(内乱の予感)』/
ピカソ『ゲルニカ』/
クレー『泣く女』/
藤田嗣治『アッツ島玉砕』/
エルンスト『聖アントニウスの誘惑』/
ウォーホル『六〇の最後の晩餐』/
バゼリッツ『帆のある自画像・ムンク』/
キーファー『リリト、紅海を渡る』
終章 「わかる」ということ
【本文掲載作品データ】
【人名索引】