印象派と20世紀の美術(常設展示) ブリヂストン美術館
2005年10月15日-2006年 3月26日
久々にブリジストン美術館に足を運びました。10年ぶりぐらいでしょうか。厚手の出品録をいただいたので吃驚。
さて展示ですが、印象派までは意外に小粒な作品でした。目立つのは、
コロー《イタリアの女》(1826-28)
クールベ《雪の中を駆ける鹿》(1856-57)
ルノワール《すわるジョルジェット・シャルパンティエ嬢》(1876)
セザンヌ《サント・ヴィクトワール山とシャトー・ノワール》(1904-06)
くらいでしょうか。
しかし、マティスが10点も展示されていたのは嬉しかった。マティス《縞ジャケット》(1914)のほか、1920・30年代のインテリアが5点。屋外での人物を描いた《樹間の憩い》(1923)も一寸発見だったが、風景画の《ルー川のほとり》(1925)には、こういう作品も一応あるということを認識。普段は展覧会にはなかなかでないですね。
実はピカソ《腕を組んですわるサルタンバンク》(1923)をもう一度確認したくて、今回ブリジストン美術館を訪れました。 ピカソ美術館に行って、瀬木慎一さんの新書「ピカソ」を読んで、《腕を組んですわるサルタンバンク》は、ピカソのどの時期の作品かをもう一度確認したかった。1923年でした。1921年にポールが生まれて《アルルカンに扮するポール》1924年の前年の作です。購入当時価格が数億と話題になりましたが、それはともかく、背景の青と人物の白と赤のコントラストが洗練されていてサルタンバンクの悲しげな表情が秀逸な作品。
クレー《島》(1932)は、クレー展を鑑賞した後なので、チェック。
日本洋画は、安井曾太郎(1888-1955)が没後50年ということで10点展示されていた。セザンヌに傾倒していたことがよくわかる。《水浴裸婦》(1914)、《りんご》(1942)など画題がセザンヌに影響を受けた作品は、やはり構図だけの問題になり、画題として解釈は感じられなかった。日本人には表現が難しいのでしょうか。人物像は、セザンヌの影響を受けた構図で、もちろん人物像を捉えた作品。古賀春江が3点もありました。以前は気がつきませんでした。《涯しなき逃避》(1930)《感傷の静脈》(1931)《厳しき伝統》(1931)、当時の女性ならでは感覚が感じられる作品。
藤田嗣治の《猫のいる静物》(1939-40)は、以前より、ブリジストン美術館で好きな作品の一つ。
2005年10月15日-2006年 3月26日
久々にブリジストン美術館に足を運びました。10年ぶりぐらいでしょうか。厚手の出品録をいただいたので吃驚。
さて展示ですが、印象派までは意外に小粒な作品でした。目立つのは、
くらいでしょうか。
しかし、マティスが10点も展示されていたのは嬉しかった。マティス《縞ジャケット》(1914)のほか、1920・30年代のインテリアが5点。屋外での人物を描いた《樹間の憩い》(1923)も一寸発見だったが、風景画の《ルー川のほとり》(1925)には、こういう作品も一応あるということを認識。普段は展覧会にはなかなかでないですね。
実はピカソ《腕を組んですわるサルタンバンク》(1923)をもう一度確認したくて、今回ブリジストン美術館を訪れました。 ピカソ美術館に行って、瀬木慎一さんの新書「ピカソ」を読んで、《腕を組んですわるサルタンバンク》は、ピカソのどの時期の作品かをもう一度確認したかった。1923年でした。1921年にポールが生まれて《アルルカンに扮するポール》1924年の前年の作です。購入当時価格が数億と話題になりましたが、それはともかく、背景の青と人物の白と赤のコントラストが洗練されていてサルタンバンクの悲しげな表情が秀逸な作品。
日本洋画は、安井曾太郎(1888-1955)が没後50年ということで10点展示されていた。セザンヌに傾倒していたことがよくわかる。《水浴裸婦》(1914)、《りんご》(1942)など画題がセザンヌに影響を受けた作品は、やはり構図だけの問題になり、画題として解釈は感じられなかった。日本人には表現が難しいのでしょうか。人物像は、セザンヌの影響を受けた構図で、もちろん人物像を捉えた作品。古賀春江が3点もありました。以前は気がつきませんでした。《涯しなき逃避》(1930)《感傷の静脈》(1931)《厳しき伝統》(1931)、当時の女性ならでは感覚が感じられる作品。
藤田嗣治の《猫のいる静物》(1939-40)は、以前より、ブリジストン美術館で好きな作品の一つ。