赤峰和彦の 『 日本と国際社会の真相 』

すでに生起して戻ることのできない変化、重大な影響力をもつ変化でありながら一般には認識されていない変化について分析します。

沖縄問題を理解するために コラム(458)

2022-09-05 12:48:39 | 政治見解



コラム(458):沖縄問題を理解するために


9月11日投開票の沖縄知事選、沖縄在住で沖縄県民の視点で綴るブログ『狼魔人日記』には、「大速報!『玉城デニーが超優勢と判明! サキマ淳が負ける!沖縄最後の希望サキマ淳がこのままでは負けてしまう」と悲壮な声がつづられています。台湾有事と沖縄有事は重なるだけに、沖縄県民には良識ある選択を望みたいと切に祈っています。

先日、当ブログで知事選をめぐり『沖縄県民は日中どちらを選ぶのか』と書いたところ、学生時代から親交のある鎌田さんから次のようなコメントをいただきました。

「沖縄を日本やアメリカから取り戻すために中国の力を利用するというやり方は、沖縄にとっても日本にとっても限りなく危険であると思いますが、そのような考え方に至る沖縄県民の無念な心情や怒りには共感できます。基地負担の不平等と言う沖縄差別をそのままにしておいて、日本国政府の方針に従わせると言うやり方を続けているから沖縄県民の心が、離反していくのだと思います。(以下略)」

仰る通りだと思います。誠実で人の立場や悲しみに寄り添おうとする鎌田さんらしい素晴らしい意見だと思います。

実際、沖縄が祖国復帰してから50年、政府・自民党が沖縄に対して行ってきたのは、心に寄り添うことよりも金ですべてを解決させるということでした。真に寄り添ったのは、皇室の方々を置いて他はありません。その意味は後に述べる「ひめゆりの塔」事件を一読すればわかると思います。


金で問題を解決しようとした日本国政府

現在の沖縄には振興予算がつけられています(令和4年度2684億円)。これは、沖縄が抱える特殊事情の課題解消を目的に、沖縄振興特別措置法(沖振法)を根拠に振興策を実施するもので、高い割合で国の補助金が受けられる高率補助、各省庁と個別に予算折衝せずに内閣府の沖縄担当部局が一括して予算を折衝することとしています。

ここでいう特殊事情の課題解消とは、沖縄戦での激しい戦禍と、その後27年にわたる米軍施政権下にあり、日本政府の支援を受けることができなかった歴史的な事情。また、日本本土から遠方にあり、広大な海域に多数の離島が点在している地理的な事情。台風被害が多いなど日本でまれな亜熱帯地域に位置しているなどの自然的事情。そして、国土面積の0.6%の沖縄に在日米軍施設の約74%が集中し、県民生活の利便性や産業振興に影響を与えているなどの社会的事情を指します。

実に聞こえはいいのですが、この予算には沖縄県民の歴史的経緯について寄り添うというよりも、日本国政府としての贖いを金銭で代償するという意味合いが強いように感じられます。なぜなら、これは公共事業などを営む人にとっては利益になるだけのもので、一般の人には。せいぜい、基地周辺の住民の家の窓を二重にするとか、エアコンを設置してもらう程度での恩恵しか感じられないものだからです。

結局、精神的な不満に加えて金銭的な不満を助長させるものでしかないように思われるのです。現在、れいわ新選組の支持者たちが、ことあるごとに「給付金をよこせ」と言っているのと同じような依存体質に沖縄県民を誘導したとのそしりは免れません。

これを本土から行った人が見て、「沖縄県人は勤労意欲が薄く、補助金ばかりをあてにしている」などと批判し、それがますます沖縄の人と齟齬をきたすことにもなっていると思います。心がこもっていない金銭の支給は逆効果の方が大きかったように思えます。


左翼の大量流入で沖縄は左傾化した

このかみ合わないところを、左翼陣営が巧みについているのも事実です。むしろ、一般の人を煽って「国はもっと金を出せ」と不満を増幅させているようにも見えます。職業左翼として生活するには「要求闘争」は欠かせないのです。しかも、要求闘争の本質は金銭です。政府から様々な形で金を奪い取って反政府活動をするというのが職業左翼なのです。しかし、反政府でありながら政府に依存している矛盾に気づくことはありません。

大量の左翼が沖縄に流れ込んだのは、1972年(昭和47年)5月15日の祖国復帰からです。直後から、70年安保闘争に敗北した左翼集団が、新たな闘争の場を求めて沖縄入りし、沖縄の社会を左傾化させました。

今では信じがたいことかもしれませんが、祖国復帰の沖縄は日の丸であふれかえっていました。そして学校の先生たちも日の丸の小旗をふって祝っていました。これは、「沖縄教職員会で日の丸を広げる運動」を推進した仲村俊子さんの『祖国復帰は沖縄の誇り』に書かれています。この状況をひっくり返した左翼の反政府運動がいかにすさまじかったかわかると思います。

そんなとき、「ひめゆりの塔」で大事件が起きました。沖縄の祖国復帰記念事業として1975年に開かれた「沖縄国際海洋博覧会」の最中の出来事です。

初めて沖縄の地を踏まれ、ひめゆりの塔で祈りを捧げられようとしていた皇太子妃両殿下(当時)に火炎瓶が投げつけられた【※1】のです。両殿下は火炎瓶を投げつけられてもひるむことはなく、日程の変更は一切されませんでりた。そのおかげで、両殿下の沖縄への核別な思いは本物だったことを改めて沖縄県民は知ることができました。

【※1】当時、皇太子殿下(上皇陛下)は、周囲の沖縄ご訪問を止める声に「石ぐらい投げられてもいい。そうしたことに恐れず、県民の中に入っていきたい」と語られました。また、火炎瓶を投げつけられたその夜には「払われた多くの尊い犠牲は、一時の行為や言葉によってあがなえるものではなく、人々が長い年月をかけてこれを記憶し、一人ひとり、深い内省の中にあって、この地に心を寄せ続けていくことをおいて考えられません」と語られています。

また、ひめゆりの塔事件の直前、両殿下の車列めがけて「皇太子帰れ、天皇制反対」等と叫びながらガラス瓶やスパナ、石などを投擲した白銀病院事件がありました。その実行犯の一人が川野純治氏で鹿児島県出身、また、ひめゆりの塔事件でも実行犯を支えていたのが本土から来たプロ活動家です。沖縄の左翼の歴史は本土の左翼が作り上げたということがよくわかる事例です。

いまでも、反基地の闘争主体は、本土出身のプロ活動家にハングル文字があるところから反日の活動家が紛れ込んでいるようです。なお、件の川野氏は現在名護市の市議会議員三期(社民党)を果たし、まもなく知事選と同日に次の審判が下ります。知事選同様、大いに注目する日になることは間違いありません。


次回は、どうしても読者に知ってもらいたい問題である、普天間基地の問題と、沖縄と日本は別だという誤解を正していきたいと思います。これについては、次回に論じます。(つづく)



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