(昨日の補足)
普天間基地の問題についての補足です。
普天間基地移転後には軍用地の所有権者間で紛争が生じる可能性があります。
なぜなら、普天間基地のあるかつての宜野湾村は激しい戦火によって土地台帳が焼失しているからです。そのため、普天間基地の土地の所有権の確認は自己申告に頼るしかなく、借金の抵当に入っていた農地も登記簿が焼失し、うやむやになっています。
所有地の特定作業は1946年2月から、約6年を費やして行われ、当時の琉球政府から「土地所有権証明書」が発行されました。ところが、小作農だった者の申告や所有地を誇大に主張する者など、不正申告者が続出、事務受付を代行した琉球政府関係者を辟易させていたといいます。借金に汲々としていた農家が、いつのまにか無借金になり、毎年地代が入ってくる軍用地主になってしまったようです。
普天間基地の地権者4000名弱に対しては、少し古い記録ですが、一人平均約225万円といわれ、大地主は東京のタワマンに住んでいるとの話も聞こえます。軍用地についての情報を見ると、軍用地専門の不動産業者が目につきます。いずれも「儲かる」と豪語しています。
いずれ、基地がなくなれば、地代収入もなくなる上、登記が実測されていない自己申告のため、所有権をめぐって地主間で大もめになるのではないかと推測しています。また、左翼のグループも沖縄・一坪反戦地主会なるものをつくって、反基地闘争を支援する傍ら、地代を国からもらっているようです。ちなみに反戦地主は関東在住者が多いようです。
コラム(460):沖縄は古代から大和である
以前、私は、自民党内の派閥横断勉強会の政策スタッフをしたことがあります。直属の上司が、政調会長と筆頭の政調副会長だったこともあり、政調会長室にはよく出入りしていました。そこに古参の女性職員がいて話をすることがありましたが、その女性がとんでもないことを言い出して絶句した記憶があります。それは「沖縄は日本じゃない。言葉も違うし・・・」と。朝日新聞に洗脳されていたのかもしれません。
朝日新聞などの沖縄は中国の領土の一部であると主張する人たちは、「おきなわの言葉は、20099年2月にユネスコ(国連教育文化科学機関)が方言ではなく、『言語』だと発表した」ことと、「薩摩が支配下に置くまでは中国から王位をいいただく朝貢国家であること」を根拠に、中国の影響下にある独立国家であったことを主張しています。沖縄独立論で沖縄を日本から分断し、中国の支配下にもっていきたいようです。
ちなみに、沖縄タイムズが「4年前の発言で問題ない」と釈明している玉城知事の「日本政府から、アメリカから、沖縄を取り戻す」との発言も、その流れの上にあります」。
同時に、彼らはその事実が発覚するのを極度に恐れており、「沖縄を中国の属国にしたいデニー候補。ウイグル・モンゴル・チベットのように、日本民族も強制収容所に入れられ、民族浄化(虐殺)されます」とツィートした大阪府泉南市議会の添田詩織議員に対しては地元民に「選挙妨害」として告発させ言論を封じ込めようとしています。でも、それがニュースになって広がるわけですから、ある面では逆効果だと思います。
琉球方言は日本語
沖縄の言葉(しまくとぅば)=琉球方言は日本の古語を祖語に持った言語です。つまり、日本語の古い言葉が残っている方言なのです。たとえば「いらっしゃいませ」の意味の「めんそーれ」は、「参(まえ)り候(そうら)え」が変化した言葉だといわれています。
また、沖縄本島などで使う「あけづ」(=とんぼ)のように、本土ですでに使われなくなった言葉(死語)も多くのこっています。本土の言葉と沖縄の言葉はかけはなれているようにもみえますが、よくくらべてみると、もともと同じことばだったことがわかります。現代の日本人が古語辞典なしには古語が理解できないのと同様に、沖縄には古語が残っていると言えます。万葉集の言葉の時代に近いのかもしれません。
また、沖縄民謡を聞くと言葉はわかりにくいように思われますが、言葉の響きを注意深く聞いていると、それは大和言葉とおなじ懐かしい響きであることがわかります。私も若い時分はよくわからなかった言葉も、年をとるにつれて言葉の響きとして沖縄民謡を理解できるようになってきました。
そもそも沖縄の言葉が日本語でないという発想はおかしいと思います。第一に文法自体が日本語と同じで、中国語の文法とは全く違います。沖縄には中国語の通訳として中国人が流入しその子孫が多数いるのは事実ですが、だからと言って沖縄の言葉が中国の文法で話されることはありません。こんな方言の解釈をめぐっても、中国の野望が入り込んでいることを私たちはしっかりと確認する必要がありそうです。
沖縄は大和に帰属していた
中国は、1429年成立の琉球王朝が中国に朝貢したことをもって、沖縄を中国の属領にしてしまいたいようですが、日本の文献のなかに、琉球王朝以前の沖縄が日本に帰属していたことが記されています。
例えば、日本書紀に、「和銅8年(715年)正月、立太子礼をすませた首皇子(おびとのみこ、後の聖武天皇)の朝賀の儀が執り行われた際、大極殿の前には北は陸奥、出羽の蝦夷たちが25人、南は奄美大島をはじめ、屋久島、徳之島、そして、沖縄の石垣島や久米島から、それぞれの代表52名が参列した」と書かれています。
また、720年頃には大和朝廷が南島(沖縄)人に位を授けたとの記録や、753年には、遣唐使の船が沖縄に漂着し、その再、阿兒奈波と言う名前が国史に登場しています。
さらに時代をさかのぼれば、618年、推古天皇の御代に、「流求人約30人が大和に帰化した」と沖縄年表にあります。
「沖縄は日本ではない」という考え方は、アメリカの沖縄統治とかかわり上がるようで、アメリカの手によって獄中から解放され暴力革命を扇動した共産党の徳田球一(名護市出身)は「沖縄民族は少数民族であり、歴史的に搾取、収奪された民族である。」との主張を行っています。
その延長線上に、沖縄の独立論があり、今は沖縄奪取を目指す中国のプロパガンダに利用されているのが現状です。
したがって、言葉が日本語と違うとか、沖縄はもともと日本ではなかったなどという考え方は、風説の流布と同じ中国の最も得意とするやり方で、すべての日本人を騙そうとしているのです。
とくに、日本政府に反感を抱いている人はこれに簡単に騙される傾向にあり、嘘が大きければ大きいほど信用してしまうようです。しかも、沖縄の人はもともと純朴です。その純朴さゆえに、偏向教育で沖縄の悲劇を叩きこまれ、日米両政府への反感を募るよう誘導されています。これが沖縄の本当に悲しい現実なのです。
沖縄に日本政府からの真摯な癒しが与えられない以上、残念ながら沖縄の悲しみはまだまだ続くと思います。最も偏向教育を受けた世代が一新されるあと20年くらいはこの状態を耐えていかなければならないのかもしれませんし、それ以前に、沖縄に圧力をかけ続ける中国が先に崩壊すれば事情は変わると思います。
いずれにせよ、ただただ時の流れを待つしかないと思いますが、それまでは沖縄県民には耐えていただくほかはありません。
せめて、今回の知事選で、沖縄の中国化をめざす玉城デニー氏よりも、良識ある前宜野湾市長の佐喜真淳氏に当選してもらいたいと祈るばかりです。
(沖縄問題はこれで終わりです)
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