赤峰和彦の 『 日本と国際社会の真相 』

すでに生起して戻ることのできない変化、重大な影響力をもつ変化でありながら一般には認識されていない変化について分析します。

言論の暴力から物理的暴力に変わった選挙運動

2024-10-29 00:00:00 | 政治見解
言論の暴力から物理的暴力に変わった選挙運動




最近の選挙活動を見て、つくづくとやりにくくなったなぁと思う今日この頃です。

何が言いたいのかと言えば、長年、選挙活動の中枢に携わってきたものとして、最近の選挙活動は、言論の暴力から、物理的な暴力の時代になったことを残念に思っているのです。


言論の暴力から物理的暴力の時代に

これまで選挙運動では敵対する陣営の小競り合いらしきものはありましたが、組織だって選挙妨害をし、物理的に暴力をふるいだす時代になったようです。発端は、本年4月の衆院東京15区の補欠選挙における政治団体「つばさの党」による選挙妨害事件からではないかと思います。

このとき、「つばさの党」のメンバーは、複数の他陣営の街頭演説に押し寄せ、「演説が聞こえなくなるほどの大音量で質問を浴びせ続けたり、太鼓をたたいたり」「選挙カーで他の陣営の選挙カーを追い回す」「その様子を動画でインターネット上に配信する」などの行為を続けました。中には他陣営の人が信号待ちをしているときに近づいて、引き倒すという乱暴狼藉も働きました。これは彼らの作成した動画配信で確認することができます。わざわざ証拠を残していたのです。

一度、変な事件が発生するとそれを模倣する人物が出てくるのも致し方ないのかもしれません。今度の総選挙では、東京一区の維新の音喜多候補が、極左らしき暴徒数十人に囲まれて身体を掴まれ転倒する事件が起きています。この場面、暴徒の仲間がわざわざ動画に残していて、これを音喜多氏の自作自演と主張しています。

一方、東京24区では無所属で出馬した萩生田候補に対して、東京新聞記者というより活動家として有名な望月衣塑子(いそこ)氏が、動き出した車を執拗に追い回し、スタッフに止められても暴れていました。目立つこととで存在をアピールしたいのでしょう。その暴力まがいの場面が動画に残っています。


運動員は罵詈雑言に耐えられるだけの精神力が必要

こんなことをされると、被害者になった運動員はもう二度と選挙運動には携わることができません。物理的暴力だけでなく、言葉の暴力でも、心の傷を負った運動員は選挙運動を避けるようになります。こういうシーンは何度も、また何人も見ました。

実例を挙げれば、40数年前のことですが、衛藤晟一氏が初めて大分県議会議員のチャレンジしたとき、親戚の品のいい叔父さんが選対本部の受付にいて、非常に安心感と安定感を与えていました。しかし、二度目の選挙の際には、その叔父さんの姿は見かけませんでした。非常に不思議に思いましたが、詳しい詮索はしませんでした。

それから8年後、衛藤晟一氏が衆議院選挙で初当選した選挙の際には、前回の落選の反省から、選挙事務所に一般の人にも気楽に入れるように、サービス業界で有名な人を受け付け責任者にすえました。おかげで、結構評判のいい事務所づくりができました。しかし、その次の選挙の時には、その人の姿はありませんでした。

筆者は、基本的に選挙運動の政策から基本戦略の組み立てに従事していましたので、事務所で一般の人と話す機会はないのですが、それでも、手かたらない時には電話や応対に出ざるを得ない時があります。その場合、支援者なら温かい言葉を頂くのですが、敵対する陣営の人が乗り込んだり、電話をかけてくるときは厄介です。何かと細かいことまで文句をつけ、罵詈雑言を繰り返し、挙句の果ては、「絶対に投票しないからな」という捨て台詞を浴びせます。はじめから投票するつもりなんてないのですが。

そういう人は、ここぞとばかり、妨害目的で文句をいってきますので、今でいうカスタマー・ハラスメントよりもきつい。そういう罵詈雑言は聞き流せばいいのですが、妙に心に引っかかる場合もあり、選挙後にはなぜか、心の傷として残る場合もあるのです。かくいう筆者だって、罵詈雑言でできた心の傷を消すのに苦労したことがあります。

要は、選挙運動期間中、候補者から始まって末端の運動員に至るまで、激励の言葉よりも罵詈雑言を浴びることが多く、心の平和を保つのはすごく難しいのです。それだけに、テレビメディアで連日のように叩かれ続けた前・兵庫県知事は、その点だけは大したものだと思います。


選挙運動に素人の参画が難しくなった

なぜ、これほどまでに選挙運動が苛烈になるのかといえば、すべてに利害打算が絡んでおり、勝てば利益が得られるのに、負ければすべてを失う構造が出来上がっているからです。つまり、選挙運動は、理念や政策の実現といったきれいごとではなく、「自分とその関係者の利益を最大にする」ということに本質が隠されているわけです。

だから、選挙ともなれば、みなさん声が大きくなって自己主張を続けるわけです。時には、敵対する陣営に罵詈雑言をぶちかまして怯ませようとします。これですら、小さいながらも自陣営の利益につながります。

ただし、直接的に、言葉の暴力や物理的暴力をふるう人(兵隊)の利益はさほどでもありません。せいぜい後ろで操る人から褒められる程度で、一番利益を享受するのは後ろの黒幕という図式になっています。

そのためか、最近は第一線で体を張っている人自身が自分の利益が少ないと思い始めたのかどうかは知りませんが、自分の乱暴狼藉の行動を動画にして拡散するようになりました。黒幕に認めてもらうとともに、動画配信で一儲けしようという動きだと思います。しかし、それが刑事事件などの証拠画像にもなるという諸刃の剣でもあります。

いずれにせよ、だんだん選挙運動もやりにくくなる時代に突入しました。これで、一般の人の選挙運動参画の敷居が極めて高くなりました。ここを改善しなければ、国民全体の政治参画は程遠くなります。

善良なるサイレント・マジョリティには残念な政治状況です。
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