あかねの出来事

毎日いろいろな出来事、出会いがあります。
今日はどういう一日だったでしょう?

消えたこどもたち

2010-08-18 17:13:08 | Weblog
今日も猛暑。
デスクワークをしていても、汗が出てくるし、
頭がぼお~っとしてくる午前中でした。

来週は一般質問の通告。
今回、3項目をやろう!と思っていたのですが、
持ち時間を考えると、2項目となりそうです。

市民からのご意見をいただき、
午後から教育委員会、企画部にヒアリング。
資料もいただきました。
教育委員会関係の問題は、ご意見は「ごもっとも!」
ですが、市の財政状況、任意的問題、を考えると
私も教育委員会と同様の考え。
ご回答をいかにすべきか、悩んでいます。

その脚で、羽村市要保護児童対策地域協議会と
立川児童相談所協賛後援会
「ストップ!虐待」へ。
山梨県立大学人間福祉学部の西澤哲先生の
講演でした。

西澤先生の著書や、活動はかねてから着目し、
著書も読ませていただいていたので、実際にどういう
講演になるか、また、勉強したい!と脚を運んだ次第です。

冒頭に立川児童相談所の福山所長から
先日起きた、江戸川区の事例の検証について
報告がありました。

それを受けて!西澤先生はご自分が用意した資料を
「今日は使いません、時間があったら触れますけど」
なぜなら、この検証報告書には多くの学ぶ点、今後、被害を
ださないための対策、つまり活かしていく、ということ。
そして、何より、懸賞報告書から学び、今後に活かしていくことが
虐待で亡なった子どもへの「礼儀」だから。

その中で、「消えた子どもたち」という話がでました。
「消えた高齢者」ではなく「子ども」です。
学校への「転出届け」は出されているのに
「転入届け」が出ていない子どもが、年300人は
いる、という事実。
文部科学省も実態は把握しているという事実。

子どもたちはどこへ・・・・

想い出したのは、私がまだ、小学校低学年だったころでしょうか。
近所で、夜逃げ同然にある家族がいなくなったのです。
台所には食事の食べかけのちゃぶ台。。。

行方はわかりません、わかっていない、と思います。

あの家族、子どもはどこへ行ったのか・・・

江戸川区の事例は継父に子どもが虐待を受けて
亡くなったのですが、顔にまでケガを負っていたのです。
普通、目立つところにはケガを負わせないのに
目立つ「顔」にケガ(1.5倍も腫れていた)を負わせる、ということは
相当「危険」ハイリスクな状況と。

通報も担任の先生ができるのですが、副校長と主任に任せてしまった・・
法的には個人が通告義務者なのですから
「まずそこで、初動が誤った」と。

子ども家庭支援センターの方が家庭訪問をして
子どもに会いたくても親から「いません」と
会わせることを拒否する場合もあります。
支援センターの方はそれ以上、行動できないのが
いまの日本。
「消えた高齢者」問題と同様です。

アメリカでは「子どもに会わせない」こと自体、
虐待として保護者が罰せられるそうです。
日本とアメリカの「子ども」に対しての認識が異なる、
権利意識のおきどころが異なるからだと思いますが、
子どもは社会全体で育てていくもの、という根本的
認識があり、子供は社会と「会う」権利がある。
それを「会わせない」のは権利はく奪となるからです。

日本でも児童相談所の所員が「勝手に子どもを連れていった」と
問題になったことが、ありましたが、
ヘンリー・ケンプの
「間違えて保護することを私は選ぶ。
保護せずに死んだ子どもには謝ることはできない。
保護者に謝ることはできるのだから」という
言葉に、納得していまう、昨今。

消えた子どもがいる・・・という現在。

羽村市も虐待マニュアルはありますが、改訂の時期に
来ているように切実に思います。