羽村市では、平成7年に終戦50周年を契機として、恒久的な平和思想の普及啓発を目的に
「羽村市平和都市宣言」を行いました。
我が家は母が第二次世界大戦の生き残り。
もっと狭めて言えば、「深川大空襲の生き残り」です。
奇しくも今日、8月11日は東日本大震災発生から
5か月・・・
「平和の企画展」を観に、ゆとろぎへ行ってきました。
「第二次世界大戦が終結してから66年が経ち、戦争の悲惨さを若い世代に語り継いでいく機会が減少しています。
過去の戦争体験を風化させることなく、戦争を知らない世代に平和の大切さを伝え、平和について考える機会となるよう、「平和の企画展」を開催します。」
というもの。
東京都、羽村市図書館、郷土資料館の所蔵品を展示。
今年は羽村市市制20周年。
東日本大震災のことも踏まえて、あらためて
市民、一人ひとりに「平和」というものを
訴えている展示でした。
羽村市でも200命余の方が戦死しているのです。
そういった方々があって、いまの「羽村市」があること
市制20周年を迎えることができたのだなあ・・・と
じっくりと拝見しました。
母は深川大空襲のものがない、と言ってましたが
八王子大空襲、そして羽村市に暮らしていらっしゃる
シベリア従軍の方々についての、ことは??
抑留され、日本、羽村で暮らしてらっしゃる方、いらっしゃるのです。
そういう展示がなかったのが(残っていないのかもしれませんし、
借りることができなかったのかもしれませんね)
不思議でした。
また、「当時のことは思い出したくない」という
方もいらっしゃると思います。
実は私の母も最近は語りだしましたが、
以前は「思い出したくない」と言っていました。
いまでも、花火は遠くで見るにはいいけど
近くは「空襲を思い出すから嫌い」と言います。
私の父方の祖父は海軍に招集され、横須賀で「お国のため!」と
闘っており、伯父は硫黄島で戦死しました。
父は伯父をとても慕っていて、かたみとなってしまった
ひげそりをずっと大事に使っていました。
ひげそりは父が亡くなったときに納棺しました。
母方の祖父、伯父ともども、「やせすぎで丙種合格「近眼で丙種合格」。
招集されず、それをずっと「悔やんで」いました。
どれだけの市民の方がこの企画展を訪れたのか?はわかりませんが、
せっかくの「平和の企画展」。
一人でも多く、来館してほしいし、
これからも第二次大戦のことを語り継ぐ精神を
絶やさないでほしいと思います。
。
「羽村市平和都市宣言」を行いました。
我が家は母が第二次世界大戦の生き残り。
もっと狭めて言えば、「深川大空襲の生き残り」です。
奇しくも今日、8月11日は東日本大震災発生から
5か月・・・
「平和の企画展」を観に、ゆとろぎへ行ってきました。
「第二次世界大戦が終結してから66年が経ち、戦争の悲惨さを若い世代に語り継いでいく機会が減少しています。
過去の戦争体験を風化させることなく、戦争を知らない世代に平和の大切さを伝え、平和について考える機会となるよう、「平和の企画展」を開催します。」
というもの。
東京都、羽村市図書館、郷土資料館の所蔵品を展示。
今年は羽村市市制20周年。
東日本大震災のことも踏まえて、あらためて
市民、一人ひとりに「平和」というものを
訴えている展示でした。
羽村市でも200命余の方が戦死しているのです。
そういった方々があって、いまの「羽村市」があること
市制20周年を迎えることができたのだなあ・・・と
じっくりと拝見しました。
母は深川大空襲のものがない、と言ってましたが
八王子大空襲、そして羽村市に暮らしていらっしゃる
シベリア従軍の方々についての、ことは??
抑留され、日本、羽村で暮らしてらっしゃる方、いらっしゃるのです。
そういう展示がなかったのが(残っていないのかもしれませんし、
借りることができなかったのかもしれませんね)
不思議でした。
また、「当時のことは思い出したくない」という
方もいらっしゃると思います。
実は私の母も最近は語りだしましたが、
以前は「思い出したくない」と言っていました。
いまでも、花火は遠くで見るにはいいけど
近くは「空襲を思い出すから嫌い」と言います。
私の父方の祖父は海軍に招集され、横須賀で「お国のため!」と
闘っており、伯父は硫黄島で戦死しました。
父は伯父をとても慕っていて、かたみとなってしまった
ひげそりをずっと大事に使っていました。
ひげそりは父が亡くなったときに納棺しました。
母方の祖父、伯父ともども、「やせすぎで丙種合格「近眼で丙種合格」。
招集されず、それをずっと「悔やんで」いました。
どれだけの市民の方がこの企画展を訪れたのか?はわかりませんが、
せっかくの「平和の企画展」。
一人でも多く、来館してほしいし、
これからも第二次大戦のことを語り継ぐ精神を
絶やさないでほしいと思います。
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