死刑の執行の基準がわからない。年功序列?ではないし、犯罪の悪質さでもないようだ。
被害者と死刑 被害者の遺族は死刑は処罰感情の最たるものだと考えるだろうしそれは理解できる。
ただ厳密に考えると、「命をもって償え」ということと、毎日死の恐怖に怯えて獄中生活を送れということどは
違うのではないか?とも考える。もちろん被害者の感情はそういうことを求めているのかもしれないかもしれない。
ただ、確定してから一定期間内に執行しないのは、憲法違反なのである。
なにかやるせないのは「死刑囚が病死」などという事態である。その被害者達はこういうに違いない。
「だったら執行を」と。サリン事件の主犯が獄中で約20年生きているというのも、死刑を執行したら
その場所がオウム真理教の聖地となるから執行しないという話を聞いた事がある。しかし、サリンは国際法でも
使用が禁止されている位の化学兵器だ。一教団がそれを生成したことは衝撃であり公安警察の大失態だろう。
使用前に阻止すべきだったはずだ。万死に値する行為でひとつの命を処しても魂の数がつりあわないのだが
屁理屈を述べている間に「真っ先に処刑すべき人物である事は間違いない」にもかかわらず国費でその命を
永らえているのはまことに心外なことである。
それに、政府というかマスコミも死刑が執行人数は何人だけでも充分ではないかと思うのに、過去の事件を
書きたてている事自体もへんな話である。遺族などに死刑執行の知らせが確か行かないで、執行された人間の
関係者にだけ通知されると思ったが、ここが思い出せない。
「人権団体」等は死刑は野蛮だというが、そこだけを捉えないで欲しい。ただ最初に述べたように
確定後3ヶ月以内に執行と決まっているこをを国が破り続けていることこそが「人権上の問題」だと私は思う
現状では毎日死刑囚に「殺すかも」という苦痛を何年も与え続けている事になる。死刑が決まると朝呼び出しが
あるそうで、独居房に入れられていてもその瞬間を体験して泣き叫びながら独房をだされるから、皆それを
恐れているし、恐怖の為に精神疾患を起こす人間もいると精神科医で作家の加賀乙彦が『死刑囚の記録」という
本に書いている。犯罪の抑止力としての死刑制度は執行がなされなけらばただの名目だけとなる。
ただし袴田死刑囚のように執行されなかったとことで冤罪であると認められた例もある。
本人が当初から否認している例などを除き、犯罪の事実を認めているうえで死刑判決がでたならば速やかに
執行するのが現在の日本の課題だろう