逗子と三鷹のふたつのストーカー殺人で、ある共通のキーワードがある。
いずれも被害者がフェイスブックを利用していたという事だ。
私は利用していないのでどんなものなのかは、また聞きなのだが、逗子の場合は警察が防犯カメラを設置するなどしていた
はずである。しかし、このての交流サイトを利用していたならば、首を傾げざるをえない。
一方見たかの場合は、犯人との知り合うきっかけがフェイスブックだったそうだ。
@おっさんの私にはこれではあべこべではないかとも思うのだ。
今時の若い人には当たり前の交流方法なのかもしれないが、本当に身辺に危機を感じたなら辞めておくのが賢明だったと
思うのだが?
ネットが普及しているので「あって当然」な時代なのかもしれない。
でも、www(ワールドワイドウェブ)の意味を今一度肝に銘じて欲しいと思う。
自分と相手以外にも世界中のユーザーが使うのがネットである。
使うなとはいえないが、使い方を今一度再認識してみる必要性があるのではないか?
自分は正直でも相手が必ず同じ考えで利用しているとは限らないのに、どうしてそこまで入れ込んでしまうのだろう。