後藤さんが殺害されたという事が出たばかりなのに、もう「検証」をする話が出ている
もちろん、検証は必要だろうが、これではまるで「死を予想していた」といえるのではないか?
「激しい怒りを覚える」と表現したら良いのか「言葉がない」といえばいいのか?
しかし、何度も書くがヨルダン政府やヨルダンの国営放送では、後藤さんということは
出てこず、あくまでもパイロットの事に触れ続けてきたのである。
そして、今回殺害が周知のものになってから、国営放送でテロップを流したに過ぎない。
この温度差がせっかく国境付近まで移送された後藤さんを再び奈落の底に連れて行った
可能性が高い。私がその事実を知ったのは今日のお昼ごろで、ジャーナリストであると
いう一点に望みをかけていたのだが、残念である。
しかし、戦場の現実をフリーで取材するジャーナリストの姿勢は、中立的である点で貴重な
ものである。ベトナム戦争の時にアメリカが使った生物兵器枯葉剤による後遺症をアメリカは
否定していたが、これを暴いたりできる自由がある。
不都合な真実を、公にする力があるのだ。ただ、これも年代と共に取材方法が変化している
沢田教一、地雷を踏んだらサヨナラの一ノ瀬泰造、ロバート・キャパ、
などは最後は戦死しているのだ。
話がそれたが、安倍さんは、なんにもできないでいた。その無能ぶりを検証することはある意味
良い試みなのかもしれないが、なんで死力を尽くさなかったのだろうか?