写真家といえども ピン切りだ、私同様のもどきも沢山いる。ただいろりおな写真家と
出会ったけれど やはりできる奴らは丁寧なのです。
例えば白川義員死も 仏教伝来の写真展では なんかお高く止まっていっる感じが
したが、南極大陸の写真展を富士のプロ課の人と見に行った時は、温厚な対応だった
話したいことがあったのに、途中でNHKのインタビューが入ったので、退散となった。
モーターショーなどでもそうですが 一般客を入れる前日などに関係者ご招待という事が
あった。なので 同じく山本健三氏と富士フォトサロンであった時も、写真展開催日の前日
だった。実は先生の写真を見て育ちました。京都の写真は高いレベルから写しているんで
すよね?と聞いてみたら、ほうそこまで真剣に見てくれましたか、そのとおりですよ。
などと話が弾んだ。彼’’富士フォトサロンの所長)から新進気鋭の写真家が来ると聞いて
いたんだよ。なるほどねぇ。この時70歳を超えていたと思ったが、温厚で若いと
思った。やはり 何かしらをやり遂げた人は 本当に皆若いのだった。
立木義浩氏とは おんぼろスタジオの話で盛り上がった。「たっちゃんの写真館」と
いうドラマの元になった人である。なぜか マウイ島での風景写真をくれたのだが
あまり風景写真には向いていないなぁと思った。
他にも写真誌の編集長等にもあったし、アイデアだけを取った編集長にもあって
(発行責任者に昇格)その時の話をした。お酒は飲めないけれど、同じ仕事をしている
人と話ができると 時間があっと言う間に流れてしまうが至福の時間でもあった