人間は人生をやっている以上全てがうまくいく訳が無い。ただ、だからといってやたら滅多らと「死のうと想った」人が
多すぎだ。これおを書いている最中にも死のうと想う事はできる。とかくと反感をかうだろうが
「自己愛」が強いほど今のように「死のうと想う」のである。意地悪な言い方をすれば「想った」だけなのであり
「死ねば全てが楽になる」と思わせるようなことは、青少年の健全な育成の為にも慎むべきである。
実際自死に至ってしまった人は「死にたい(とおもう)というように現在進行形なのである。
例えばうつ病も本当はたいへんな病であり、もがき苦しむことを通り過ぎてしまっているのだ。だから
口数が減った、ぼーっとしている、なげやりになった、食がすすまないなどの症状を家族は見抜かなければ
ならないし、家族の命を守りたければ精神科に強制入院という手段もある。胸を引き裂かれるような思いを
するかもしれないが24時間監視体制でしかも部屋にはトイレしかないし自由に出られないらしいので、
命を守る為の最終手段だろう。時間が過ぎ薬をのめば治る可能性が大きいと聞いているが、専門家にしか
わからないところでもある。
泣きっ面に蜂という言葉のとおり悪い事は続く事があるが、そこで思いっきりくじけるのもよいが
私はなぜかそういうときに水戸校門の「じんせいらくありゃくもあるさぁ~」などと呟いたりしていた。
芸能界そしてテレビの特徴は「持ち上げる時はそこまでするかという位に持ち上げておいて、一気に落とす」
そうだ。ただ、ピン芸人はともかくとして顔をいつの間にか見なくなった人を取り上げる時には
「自殺未遂、壮絶な人生」などと必ず慣用句がつくのであり、それは絵空事であり、 信用してはいけないのは
「死のうと想った」という言葉である。
ただし正式な診断を受けた後に病に勝ち抜いた人のそれは言葉で言えば同じだろうが天と地の差がある