前にも書いたように 僕は欲しいものなどがあるときに 3回ほしいいとお思えばそれは必要なもの
だと云う考え方をしてきた。これは日常的なありとあらゆる面で通用することだと思っている。
かっこを付けて言えば、3審制のようなもの・・・・かもしれない。
最近少し困っていることがあり、母上共々迷惑な気持ちがあった。いや、このブログにある「年の功」を
読んでもらえばわかる。それが、戦にたとえるならばあんた負けなさいと母上に言われて目が覚めたと
いうことだ。母上はすべてが聞こえていたようだが、何も言わずに黙っていたこともわかった。
ここにはかけない複雑な事情があり、いわれなき中傷めいたことを言われたのは母上だ。
それは、知らなかつたから言った、〜さんがいいと言ったから言った、それが成人している人の
考え方なのか!言葉に責任を持つのが人間であり、間違えて言ったとは考えにくい事柄なので
腹立たしかった。知っていても言わなくていいこと、言ってはいけないことというのは社会には
存在するはずだと私は思う。とはいえ最近私もヘルパーさんに芯が強いというべきところを
気が強いとまるで意味の違う事を言ってしまって、心が傷んで謝った。人間だからどこに琴線が
あるのかは百人百要だと思うが、大きなくくりでの常識やモラルというものがあるはずだ。
それを保護にして言い訳と責任転嫁するとしたら、2回までは我慢するとしても、3回めには
責任の所在や度合いを知らしめる方法を取らなければならないと思うのだ。
自分の考えを押し付けるわけではないが、物事を真摯に考えてみてくれれば、それで良い。
云った言葉は取り消せないが、それが知らずに不用意な発言だったならば、ごめんとかの一言で
良い。それをいえない人々が存在するのもまた人間社会であり致し方がないことなのかもしれない