直木賞作家の高橋治氏が6月13日に逝去されたと報道で知った。享年86歳だが、5月23日が誕生日なので実際は85歳か?
高橋氏との交流は確かこのブログの仲の「私が出会った人達」という分類の中に書いてあるはずである。
直木賞受賞前後からの知り合いではあるが、考えれば自分の両親よりも少し年上だ。
私が大学をひとつ辞めて、違う大学に入り直した時に「直木賞受賞作である秘伝という本に達筆な一文を添えてくれた」事
そしてそれは今も大事にしているのだが、私のハッタリ的自慢のひとつである「芥川賞と直木賞作家が知り合いである」という
両翼がもぎ取られてしまった。芥川賞作家とは北杜夫氏で直木賞作家は高橋治氏の事だった。
いずれの賞も出版会の定説でいえば「受賞後の第一作がいかにはやくかつ賞を受賞したレベルを保つか」が受賞後の作家の
真の評価につながる」そうだが、高橋治氏は雨あられ、雨後の筍のように、本を出しまくっていた。さすが東大文学部卒である。
実は、えーそんなことまでいつ知っていたのだろうかという位、多種多様な麺でその造形の深さを本にしていったのである。
出版された本の多さは新聞などに出版社がだす広告には毎週のように(高橋治という名前がでていたといっても過言ではないのだった
今だから言えるのだが「造形が深すぎて、実はあまり本を読んでいなかった」私だが、なんだかんだとお呼びがかかり、
仕事の合間には、ある決め事をしてあって勝手に門をあけてあるところからお宅のある部屋に行くことになっていたほどである。
樹諸語、氏のお宅にある裏電話に有名出版社からの電話がなり通しで電話が鳴るたびに先生は起きているのに
「まだ床に伏せております」と奥様がかわしていたのである。「先生◎☓出版社の△さんからでした」そのたびに報告していて
あとで連絡するとか書く気がないときはうむでお仕舞いだった。「先生これ断るなら私が代筆で書きます」等というてみたり
あーそこは断らないほうが・・・。なんていう事もあった。他の日は同じく催促の電話が来ているのに私を呼び出して気晴らしなのか
テレビというかレーザーディスクを見ていたり、先生遊んでいる場合じゃないですぜ。となぜか関係ないのにハラハラしたりと
いう時もあった。
いろいろな思い出が 走馬塔のごとく頭をよぎった。
合掌