先般ある老婆の事を書いた。ありがたいことに行政が動き、ヘルパーがついたようだ
「死ぬ為に生きる」毎日一人で買い物に行く姿 腰が曲がり自分で食べるための
少量の買い物に行く姿を見ていると 心がつぶれる想いをしていた。
人間はいつか最期を迎えるが、今世の際で例え一人で絶えたとしても、
自分で満足できれば良いのではないか?しかしそれは窺い知れないことでもある
結局人間は 突っ張っていても 群れの中で生きている。
しかし いわゆる独居老人が増えてしまったのは施策が悪いのだが、
姥捨て山伝説のあるこの国で この国が今あるのはこうした高齢者達の
戦中戦後の原動力なしには語れないはずなのに・・・使い捨てカメラは
使い捨てという表記が悪いと使い切りカメラに直したがものは同じだ
そんな言葉の綾にこだわろうが何しようが そんなのはどうでもいい事だ。
人間を使い捨てにしている大罪は 見て見ぬふりしていることこそ問題だと
思う次第だ。
それと 母の日にマーガレットを配って歩いたことがある。偽善者かもしれないが
独居老人達は 喜んでくれた。突然玄関に植木鉢があれば驚くのと不思議に
思うかもしれないので名字だけは書いておいた。ただ、一回しかできなかった
のだが・・・。翌年の正月に私の携帯に「お伝えしたいことがあるのですが」
生まれて初めてだわと言ってくれた人から留守電があった。
電話は公開していないので「ありゃ?」と思い間違えたのかと思っていた。
ただ、何度もかかってきたので様子を見に行ったら、肺がんの末期だと打ち明けられた
身よりもないので 自分が万が一の時はあなたに遺産を相続してもらいたいと
言われた。フルネームもわからないから教えて欲しいと。
「駄目だよ そんな弱気では・・・」と話して帰ってきたが、その年の夏に
天に召された。医者の薬を見てあげたら、胃薬と痛み止めだけだったから・・・。
主を亡くした マーガレットの植木鉢が 外から見えるように置いてあった。