成田に国際空港を作るにあたり、建設予定地となった農家が反対したのが三里塚闘争。
成田空港は多難な時期があったことを知っている人も少なくなったのだろう。農家に相乗りしたのが過激派で
団結小屋を作ったり、管制塔が出来上がった後に侵入して計器などを破壊していたこともある。
また一坪地主などを作り、空港建設を阻止しようとしていた。たまたま、見つけた小さな記事で今も
反対闘争があるんだなぁ~と思ったが、北原事務総長の年齢がでていた、90歳を超えているので驚いた。
時代の流れ或いは政府の強制排除により、多くの反対農家が切り崩されて、開港となってからも、団結小屋
付近でタイヤを燃やすなどして妨害行為を続けてきたが、政府の強制撤去で成田闘争のシンボルがなくなったのだ
それは随分前のことだと思うが、一時期のように過激派に入る学生も皆無になり闘争は形骸化して久しい。
以前に元過激派の人間がタワーマンションに住んでいることが小さな話題になったが、結局ポリシーなどなく
要するに単に暴れてみたかったのだろう。過激派はプチブル(プチブルジョア)を批判し続けていたのだが
時代がかわり自分たちがそういう生活になっていても、違和感はないようだ。
連合赤軍が最後の泡沫的な抵抗で浅間山荘に立てこもった訳だが、昭和の事件史などで必ずでてくる鉄球で
建物を壊す映像をみても、おそらく「なにがなんだかわからない」人が増えている。
一時期日本の学生は熱かった時代があった。東大の安田講堂立てこもりなど、反政府運動が盛り上がって
政府を倒そうとしていたのだ。私が思うには「反体制運動の結果政府の転覆に成功しても、今度は自分たちが
体制側となる」という大きな矛盾がある。
この頃の時代を生きてきた人が団塊の世代ということになるので、この世代は自己主張が強く、
人の話を聞かない人が多い。自分の考えが全て正しいという発想もこの世代やそのジュニアに引き継がれている