化学兵器の使用は違法で許されないことだが、じゃぁ銃弾で殺害すればよいのか?とだれしもが思っただろう。
現実の戦争での犠牲者だって、化学兵器ではくて銃撃された場所などによってはもがき苦しむに違いなく、
シリアの化学兵器使用を報じる映像がまさにその部分を写す出したことで、多くの人々がある意味初めて死に際を
まの当たりにしたのではないだろうか?そして繰り返される戦争、紛争、内戦のむごたらしさを感じ獲ったに違いない。
アメリカ国内の軍事介入反対が8割を超えたのは、あちらこちらに軍事介入して泥沼にはまった上に、遠い異国で戦死する現実に
ノーを突きつけた結果である。
大量破壊兵器という幻の為に、ある意味フセインを処刑した手法は、日本が敗戦したときに開かれた東京裁判と同じである。
ちなみにシリアにもし介入し空爆したとしたとして、「化学兵器」がどの場所にどのような形で保管されているか、
まして簡単に移動可能だから、誤爆を起こす可能性がかなり大きかったのではないか?
そういうリスクを考えて、ロシアに貸しをつけられても軍事介入をひかえたというよりひっこめたのだろう。
アメリカが動かなければ世界は平和だったのかもしれない