言われて居心地が良い場所だとか優しいとかという人達は、哀れである
憐れというのは聖書的な言葉だけれど。
私は向上心のないものはあわれだと思う。少なくとも、上を見ない前に進まないならば
社会における自分の居場所は 自ずと決まる訳だ。
それは個人の好き好きだからとは思うものの「同情するなら金をくれ」と
子役の時代に安達祐実がドラマでいった言葉が忘れられない
そう、これは一つの真理であると私は思う。可哀そう、とか 哀れみを
同情と置き換えれば よくわかるはず。金を出さないから・・・というのが
この言葉の金をくれにつながるのだが、見方を変えればというか本当の
真理は「同情される」に甘んじていた状態から一歩踏み出してみろ!ということ
だと思う。そこを 「金をくれ」と現実的な言葉に置き換えているのだと
思った。最初の一歩はこわいかもしれないが、アクション無くして結果はなし
なのである