疫病(新型コロナウイルス)が流行中の時期に
梅雨前線による豪雨が各地を襲い、加えて朝から地震。(この前は早朝に揺れなかったっけ?)
踏んだり蹴ったりの日本列島。
先日、茶道の稽古に行くために乗った電車内で向かい側に座っていた女性が熱心に読んでいた本。
タイトル『夏の災厄』にドキッとし、思わずBOOKアプリを検索したら電子版が出ていたので、即購入。
この一週間、通勤の行き帰りに読んでいた。
もう30年近く前に発表された作品。
篠田節子にとって、初めて直木賞候補作となった。
(この時は受賞しなくて、のちに『女たちのジハード』で受賞。こちらは受賞当時に読んだ)
新種の日本脳炎のウイルスが首都圏に近い某地方都市で流行するも、
なかなかそれが新たな伝染病だと認定されず、原因究明も対策もままならないままに恐ろしいことになっていく~
という、今の状況を先取りするストーリー。
テング熱で代々木公園あたりが大騒ぎになった夏よりもさらに前のこと。
まぁ、小松左京の『復活の』とか邦画の『感染列島』とか、過去にも感染症の話を読んだり観たりしたことはある。
だけど、当時はどこか他人事のように考えていて、実感として湧かなかった。
故にこの作品もディテールが具体的ではあるけど、これは2020年に読むから共感できること。
1995年か1996年当時では「文学的情緒が足らない」とか「人物像の描写が薄っぺらい」というな直木賞の審査員からの評価は高くなく、
受賞を逃した。
『女たちのジハード』は読書会の課題図書になったので読んだし、登場人物と同世代だったので、
同世代ならではの共感があり、面白かった。
だけど今、純粋に生活する立ち位置で考えると社会に向け「読んで!」と訴えるなら、『夏の災厄』の方だ。
もっとも、これが平穏な時期だったら、いたずらに社会に恐怖感を煽る内容で読むのをお勧めする本ではないのかも。
1995年かぁ。
あの時は地震の恐怖は経験したけど、医療が発達した時代に昔のような疫病に社会が右往左往される状況は想像もつかなかったなぁ。
だから、全く気が付かなかった。
今だからこそ思う。
新聞の片隅に報じられるような、小さな事象も後に社会を震撼させる大きなことに膨れ上がる事象になる可能性がある。
だから、日々のちょっとした「ん?」と感じる違和感を見逃してはならないと。
今気になるのは、新聞の片隅に押しやられつつある「○人感染」や「△△でクラスター」。
その場所がね、3か月前と違ってより生活の場に移りつつある。
なのに、政治は発表するのは「解除」。
果たして、お上を信用してよいものか。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます