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『海を渡った古伊万里 ~ウィーン、ロースドルフ城の悲劇~』
大倉集古館 ※3月21日(日)まで
本来ならば1月24日(日)までの会期だったところを
コロナの影響で、というよりは講演会がラジオ番組で流れ、聞き逃し配信が2ヶ月利用できるようになったということで(?)
大幅に会期が延長された展覧会。
昨秋、チラシはGetしていたのだけど、「海外輸出の陶磁器はイマイチ興味がないんだよなぁ」と興味がわかなかった。
(暮れにチラシも廃棄してしまった)
で、遅まきながら聴き逃し配信を利用して、興味を持った次第。
事前に2、3度聴いたこともあり、展覧会の背景は充分予習できた。
講演会はスライドで展示物を紹介しながら進められたようだが、それを見ることはできないので、
「こんな感じかな」「あんな感じかな」と想像力を膨らませていたのだが、
実際に実物を前にすると、まさに想像していた通りで、感動した。
まずは、ほぼ同じ形状の大きな瓶が2つ。
どちらも欠けた部分がある。
インパクトあり。「こうして欠けさせられたのが、戦争の悲劇か」と。
後から目録をみると一つは有田窯、もう一つは有田を模倣してヨーロッパで焼かれたものらしい。
1階は佐賀県立九州陶磁文化館や今右衛門古陶磁美術館などの出展による完成品としの見事な陶磁作品がずらり。
大倉集古館で収蔵されているものもちらほら。
染付、色絵、鍋島、柿右衛門様式など、見事な、そして見慣れた大物が並ぶ。
やっぱり、柿右衛門や鍋島って、すごいなぁ。
輸出用の時期も先日、サントリー美術館で観たばかりだし、その記憶も辿りつつ、ヨーロッパのお城の「陶磁の間」に飾られたであろう作品の数々を思い浮かべていた。
そうして、2階へ上がる。
予想していた通り、ロースドルフ城で破壊された陶片の数々。
てか、組み上げ修復や部分修復された陶磁器が展示されていた。
中には破損したとは思えないようなお皿もあり「よく継いであるなぁ。」
調査・修復した方々の技術に脱帽。
でも、埋まらないパーツがあるものあって、痛々しい。
そして、粉々の陶片。
金襴も混じっていて、不謹慎だけど「綺麗」と思ってしまった。
(講演で荒川先生も「陶片になっても陶磁器は美しい」と述べていたけど、まさにその通り)
ロースドルフ城で陶磁器を破壊したのは当時のソ連兵だという。
ソ連といえば、社会主義を掲げてロシア革命で王朝を打倒した流れ。
ブルジョアに反発を感じていただろう。
「この野郎!」という感じで割りまくったんだろうなぁ。
(これまた不謹慎な感想だけど、「破壊する時、きっと快感だったんだろうなぁ」と思ってしまった。ゴメンナサイ)
兵士による破壊は兵士個人の罪ではなく、戦争という狂気のなせる技。
人を憎んではいけない、と荒川先生も言ってたけど、まさにそう。
戦争とは常に破壊と略奪の狂気がつきまとう。
逆に言うと、正気じゃ戦はできぬ。
数々の美しい陶磁器を作り出した人々、集めて愛でた人々からしたら、悲しい出来事だったろうし、
文化財の意義としても、大きな痛手だ。
だけど、破壊されて陶片になったからこそ、後世の人々がその技術を科学的に分析できることもある。
転んでもタダでは起きぬ。
なんてことを考えていた。
地階に下りて、ロースドルフ城の悲劇と陶片復興プロジェクトに関する映像と大倉集古館の歴史に関する映像を視た。
そういえば、大倉集古館へは二度目の訪問だ。
前回はいつだったか。昔過ぎて忘れてしまった。
でも、内部がえらく違う気が~。やはりリニューアルしてたのね。
今回の展覧会オリジナルのクリアファイルとチケットホルダーがすてきすぎて購入。
ついでに「ポスターもプレゼントします」とのお言葉にもらっておいた。
帰りはホテルオークラ前の坂を下る。
「あれ? こんなところに道って、あったっけ?」
明らかに道が新しい。
下りきって、信号機のある幹線道路を渡るとすぐ愛宕下の地下道が。
帰宅して上京前の1995年頃に買った地図で確認すると、やはり以前はなかった道だった。
神谷町から虎ノ門にかけても、この四半世紀でかなり変化したと思う~
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