★表千家北山会館 サイト
『千家十職展 新しい作品を中心に』 ※ 8月10日(火)まで
先週の4連休、神戸に帰省していた。
夕方のローカルニュースで千家十職展のことがチラッと流れて
大西清右衛門さんがインタビューされているのを視て「あ、大西さんダ」と呟いたら、
母親が「ワタシ、この人の親戚を知っている」。
えっ!?と驚いて、よくよく聞くと~
丹波の立杭焼の窯元に「大西さん」という作家さんがいて、
その親戚の方が昔住んでいた家の近所にいたとかいないとか~。(*_*;
「違うから! テレビに出ていた人は京都の釜師さんだから。
代々、京都で茶釜を作る大西家の人だから、お母さんの言ってる人は全く関係ないから!」
と全否定した。
「京都で茶釜? だいたい、あなたはまだ茶道を習っているの?」
と、散々な反応だったが~。
で、思いがけずキャッチした茶道具の展覧会情報。
帰りに京都へ立ち寄る予定はあったので、青春18きっぷの2回目を利用をするのをやめ、新幹線を予約。
こじ開けた時間で北山まで行ってきた。
久しぶりだなぁ~。何年ぶりかなぁ~
blogのアーカイブ機能を使って検索したら、なんと前回は2013年10月だった!
10年以上前になるけど、1年1回ずつ千家十職の1つか2つを取り上げて展覧会を開催していたことがあった。
初めて訪れた時もそのシリーズで。
全部を鑑賞することはできなかったけど、その頃は無理をしてでも訪れていたけど、
そのシリーズが終わった後は表千家の歴代とか久田家などをテーマにした展覧会が多く、
すっかり足が遠のいていた。
千家十職展がかかった年もあったけど、わざわざ行くほどには興味を持たなかった。
今回はたまたま展覧会を知ったというのがキッカケだったけど、
心の中に「茶道から遠ざかっている自分をもう一度、茶道に近づかせたい」という思いが根底にあったから? かなぁ。
ちょっと、驚いたのは各家で代替わりが進んでいること。
楽家が15代から16代にバトンタッチされたことは知っている。
(新聞にも載ったし、楽美術館へは毎回足を運んでいるから)
だけど、その他の9家の動向はよく知らな~い。
もっとも、大西家(16代)は美術館あるし、昨年も直にお話し聴いたし。
お若いと思っていたけど、もう還暦を迎えられたのでは。
一閑張の飛来家のご当代も大西さんと同年代(前後?)だったかな。
中村家も四半世紀前に先代(12代)の講演会を埼玉の戸田に聴きに行ったなぁ。
と思ったら、その何年後に急逝されて、13代も女性で自分と年齢的にさほど変わらず、驚いたっけ。
今回、永楽家が代替わりしたことを知った。
作品名に「17代永楽而全」とあって、「おっ!」
表千家の先代(14代)の合わせた隠居名というのが、さすが。
そういえば、40代の息子さんがいたっけなぁ。
と今思えばそうだったんだけど、なまじブランクがあったから、
会場ではその辺にいた職員さんに「いつ代替わりされたんですかぁ」と質問。
「確認して参ります~」と奥に引っ込んで、待たされた。
戻ってきた回答は「今年3月です~」。ごく最近じゃん。(なぜ即答できない?)
そういえば、ここも息子さんと向かい合って作業する光景を映像で視た記憶が。
代替わりしたと、そういえば聞いたなぁ。
しかし、12代土田友湖 当代土田半四郎 と作品名にある表記に「ん?」
なんで「13代土田友湖」にならないの?
と、また職員さんに質問。(「確認して参ります~」)
で、その回答は「当代は半四郎を名乗り、友湖は隠居してから名乗る」とのこと。
そぉかな~。
2004年の青年部の全国大会で講演会を聴いた際の出だし、「男性ですが『ゆうこ』でございます~」で場の空気をガッチリ掴んだ12代はどう見てもバリバリの当代に見えた。
それに、私が何枚か持っている友湖のハンコいりの古帛紗は?
裏千家の稽古場における「お仕覆のお仕立ては?」「友湖でございます」の定番の問答があるけど、
わざわざ当代ではなく隠居の仕立てだと答えるのは不自然では?
と、納得がいかないけど。
まぁ、おそらくは12代も13代も現役で、どちらも同じ名前だと紛らわしいから別の名乗りにするという苦肉の策なのだろうな。
楽家は3代が同時に生きて製作していたこともあるから、隠居名も現役ばりの有効性があるし、大西家や永楽家も隠居名で作品を見分けたありするけど。
この3家以外は隠居名を聞いたことがない、ような。
(ほとんど、何代めかで作風を見分けたりする)
そう思いつつ、3階の各家ごとに分けられた展示を鑑賞。
それぞれの家の当代が文章を書いている。
そこで気になったのが黒田正玄家。
これも10数年前に三越とか高島屋の美術画廊で個展があった際に訪れて。
34万5600円に「oh! crazy!」と心の中で叫んだ。
あの時、13代正玄さんは御高齢だった。
今も現役とは思えない。代替わりは?
そこで「はっ!」と思い出し、2階の呈茶席へ戻る。
十職の寄せ書きを表層した掛物があったのを思い出したから。
たしか「発巳」の年と書いてあった。
ということは2013年。今から8年前のことだ。
この時点で9人の当代の名前と
楽篤人さんと、永楽〇〇(息子さんの名前)と黒田〇〇(たしか「なおこ」さん)と後継のサインもあった。
で、また職員さん(男性に交代していた)に質問。
「黒田家の代替わりはいつでしたか?」
今回は奥に引っ込まず、「だいぶ前のことだったかと~」。
で、結局は確認に引っ込み戻ってきて、代替わりは平成26年(2014年)に娘さんが継ぎ、
13代は2017年に亡くなられたとのこと。
そうだったんだぁ。これは全く知らなった。
代替わりといえば、気になっていたことを後2つ重ねて質問。
「3階の駒澤家のところで吉田一三さん(後見)と博三さん(後継)の名前がありましたが」
初めて北山会館を訪れたのが駒沢家と飛来家の展覧会でこれが2005年10月のこと。
あの時、「15代の継承を目指して修行中」とあったけど、まだ継いでないの?と聞いたら、「まだです」。
さらには中川家の文章がなかったけど。
十一代めは長年にわたり、十職の長老として貢献してきたけど、2008年にお亡くなりになり、後継はいません。
私が最も流派の団体で茶道活動に励んでいたころ、浄益さんが長老として存在していたことは朧げに記憶している。
だから、灰形の稽古の際、「これは浄益だからね!」と先生が強調する五徳に「はは~っ」と主ながら灰を切っていたし、
均等ではない爪に翻弄されて、壁が並行に切れないやりづらさに苦労した。
あの五徳や繊細な金物工芸を継ぐ人がいないって。。。
駒澤家と違い、後継のことはなんの説明もないのが、さらに悲しい~
と思いつつ、地階のホールへ。
少し前(十職それぞれ展が開催されていた頃)に製作された映像をダイジェストに再編成した紹介した37分間の映像を視て、
ホール前の十職紹介のパネルをこっそり撮影して、後からじっくり読んだ。
2階で私が質問した回答はすべてそこに書かれいていた。
先に地階からスタートしなかった私の不勉強だけど、
会場に詰めている係員なら、そこはちゃんと読んで暗記しよーよ。
と、呆れてしまった。
今の茶道との関わりを思うと、千家十職の存在はこの先ほぼ関わり合うことはないと思うけど、
やはり工芸の技はしっかり受け継がれてほしいと願う。
のは私の身勝手?
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