いい映画でした。 「ライ麦畑でつかまえて」(1951年31歳の作品)で有名な生誕100年のサリンジャーの青年期の物語でした。
映画館のジェームス・ディーン。
まず、あの時代、ニューヨークのマンハッタンの風景がいい! 音楽と服装と建物・豊かな時代への憧れを満たしてくれました。
1939年、裕福なポーランド系ユダヤ商人の息子の20歳のサリンジャー。作家としてこれからという時に、ドイツのポーランド侵攻、日本の真珠湾攻撃が起こり、第二次世界大戦突入。志願兵として、イギリス、ドイツ等の戦場での過酷な体験で神経衰弱に・・・・。 書くことが『魂の鏡』とも言って、戦場でも紙とペンは 放さなかったのにー。 戦後になってもフラッシュバックする恐怖体験。
苦しんだけど、瞑想(ラーマクリシュナ・インドの宗教家)で気持ちを持ち直し 書き続け、新しいスタイルの現代社会を描いた「ライ麦畑でつかまえて」が大ベストセラーに! すると、熱烈なフアンが現れたり、出版業界の熱望ぶりも嫌になり、森の中での田舎暮らしを始める。
美しい妻と、二人の子供もでき幸せかと思っていたけど別れ、高い塀をめぐらし、以降は一本の長編を書くこともなく、2010年、91歳での死去。
妻が『瞑想はしても、許しは学べないのね』と言った辺りでは、サリンジャーは、「自分ファースト」だったんだろうか?
自己中心、自己憐憫(他人に配慮することなく、ウツだって自分の殻だけを主張する人)は、周りの人を巻き込んで不快にするので、妻は離れたんでしょうね。 (話は少しづれますが、イラストレーター南伸坊71歳は、「便ファースト」だそうですが、私もなんですよ。この年になると、自分の体と心の一番大切なものが分かりますものね。でもトランプが「米国ファースト」とあからさまにいったら全てワヤ)
サリンジャーの半生は、幸せだったんだろうか? と、考えさせられました。(ラスト人生は、年若い看護師の妻だったそうですが・・・。女にはモテたんだね)
脇役の俳優達も、主演のニコラス・ホルトも良かった。 でも、 青春の王道映画「シング・ストリート」に次ぐ「ライ麦畑で出会ったら」も観たかったわ。多分、サリンジャー物は、いくつになっても、人が持ってるデリカシーとか我がままとかを素直に表現してるのでは?
近頃は、観光客の方々がアクロスをスマホで撮られてます。私も、デジカメで パチッ。不思議な建物ではあるね。
アクロスで、「天草陶磁器展」が開かれてました。GIへの土産に高浜焼の寿芳窯のイノシシ2体と丸尾焼の箸置きを買いました。
多分 窯元も12年後しか作られないでしょうね・・・。我ら夫婦も次の84歳まで、元気でいたいね。BA猪もGI猪を大事にしますね。
夕飯は、昨夜の水炊きの残りで 雑炊を・・・。旨いね! 粗食が一番!
川では いつもの黒鴨が二羽。子供はいつ? 青い空には、高く高く飛行機が飛び、幸せ気分の帰り道。
家では、何年も咲き続ける二色のシャコバサボテンが迎えてくれました。
先日、洋服店の試着室の三面鏡。斜め後ろを振り返ってギョッ「老醜の猿!」そのものの私。すぐに、ベリーベリーショートヘアに・・。
母は、老人ホームカットと言って嫌ってましたが、スース―すっきりしました。 老いカットで 頑張る!