朱の徒然

変形性股関節症の76歳

11月の読書会「死の舞い 新・古着屋惣兵衛」佐伯泰英

2016年11月29日 | 日記

 時代劇活劇を、私たちの読書会で取り上げるのは、初めて。

 佐伯泰英氏は、八幡西区出身、57歳で時代劇作家に転向された大ベストセラー作家。  68歳で前立腺がんになられ、74歳の今、旧岩波別荘『惜れき荘』を購入し、熱海を終の住処に決められたという。

 読書会の皆さんは、TV時代劇の作者として お名前は よくご存じでした。

 「12巻目だけを読んで、感想をって聞かれても・・」というのが、皆の感想でした。

 「まあ、気楽に1巻だけでも読もうよ」 というのが、選んだ趣旨でした。で、ここから個人個人で深まれば面白いのでは・・。

 

  読書会の帰りに、デパートに寄りました。

  娘が、雑誌モデルにデビュー。 ケープが素敵でしたので、私も・・と、見てみたら、値段が高過ぎ!  正札から 慌てて手を引っ込めて 帰ってきました。  毎月の雑誌を 楽しみにしてるよ!  今度は 孫と一緒に出てくれたら嬉しいな。

                         

  

  急に寒くなりました。我が家の暖房対策は、障子です。明るさもあり、風を防ぐ障子って日本の知恵のたまものですね。

  これが、衝立の障子。

 

  これは、昔ながらの障子。

  これは、障子風のガラスです。

        

  リースも飾って もう12月  いつ来てもいいよー。

 

  

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まだ柿色の秋だよ  藤波ダムへ

2016年11月25日 | 日記

 50数年ぶりに11月に、東京で雪。 積もったので、観測史上初になったとか・・。

 早速、暇で活動的な老夫婦。こちらの山は まだ秋だろうと 朝から 出かけてみました。

 まず「藤波ダム」を目指しました。 この頃 全てに衰えを感じ始めた同じ年の二人のドライブは、高速道路を降りてからの、ダムへの道を探し続けて 小塩の谷を越えて ウロウロ。  そんな時は、市役所で聞くのが一番だね と、戻って 市庁舎へ。

 教えていただいたら、わりと近くでした。 着いた「藤波ダム」の事務所は、想像よりも立派。(1969年から調査開始~2010年竣工)  ロックフィルのダムの湖は、満々と満ちていて、小さな わきの吐き出し口から流されている水量は、少なく ちょっと風変わりな 積み上げた岩も美しい ダム本来の働きをしている治水ダムだと思いました。

 『うきは』の、主に洪水防止のために筑後川の支流、巨瀬川上流に作られたダム。 他所では、電力であったり、主に水不足解消であったりのダムが ここでは、洪水のため・・ということが、よくわかりました。近くには、まだ家も残っていて、眼下には公園や広場まで作られ、それでもやっぱり まだ このダムを補完しようと工事がなされていました。

 山の上にあり、町とかなり近くて 町が扇形に見下ろせる 魅力的なダムでした。

 

  

 やっぱり「水神」で帚木蓬生氏が書かれた5人の庄屋が築いた『大石堰』と、アフガニスタンで作られた中村医師アイデアの『山田堰』を、思いました。 今では、ダムなんだねー。 

 

 山のドライブで目を見張ったのが、 この辺りの山の 全山紅葉でした。

           

 それは、山の上まで作られた「フルーツ王国 うきは」の柿畑でした。秋 秋 柿 柿 赤い 赤い葉っぱでした。柿のもぎ取られた後の山々の赤にビックリ。こんなに山の上まで、柿が作られているのか・・と、感嘆しました。

 

 

  

 遅めの昼食を 隣の朝倉市の原鶴温泉のいつものホテルでと思って行きましたが、まだ13時30分なのに 3軒のホテルに断られ、山の上にある 夢をはるかに一望千里の『ビューホテル平成』へ。

                           

 ここの個室食事処から眺めた 筑後川と柿山の美しいこと!

 また、露天風呂の隣にあるサウナの広くて大きな窓からの、大きな赤い紅葉の木 と眼下の筑後平野の眺めも素敵でした!

 幾組かのこれから宿泊される方々と、広いロビーですれ違いながら、頑張れ 原鶴温泉!と思いました。

  こんなに山にまで作られている柿ならば、柿の紅葉を もっと観光に 生かしたらいいのに・・。まだ、秋ですよ。

 

       

 「延寿寺のハゼ」と書いてあるから、寺かと思って行ったら交差点名のハゼ並木でした。こちらも、久留米のハゼに負けないで!

           今日の指輪は、孫が縁日で買ったエメラルド?のミッキーマウス形。

 

 

 

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映画「胸騒ぎの シチリア」イタリア・フランス映画

2016年11月22日 | 日記

 M様達とお会いして、K様が秋の勲章受章とのことで、お土産を頂く。この年齢になると、知人の勲章受章話をお聞きすることが、多くなりました。この勲章でも、官民格差とか・・。  そそ、そうですか、でもK様おめでとうございます。長い間 国のために、ご苦労様です。 私にまで、有難うございます。

 ランチの後、映画『胸騒ぎの シチリア』を観ました。

 

 

                                   

 1968年の『太陽が知っている』アラン・ドロンとロミー・シュナイダーの懐かしのリメイク映画。舞台がサント・ロペから監督の出身地シチリア島に変わっていました。

 男顔の世界的ロックスター(40代?)が、声帯の手術をして、年下の恋人(30代?)と過ごしているところに、元カレ(50代?)が魅力的な娘(22歳と言っていたけど、ホントは17歳。あんなに入れ墨するかな)と現れて・・。お決まりの元サヤか?パターン。  薬、やく吸引、 セックス描写もたくさんありましたが、ドタバタしてるだけで、ちっとも官能的でなく、やたら多いおっさん元カレの裸やダンスが、年だから気の毒・・。 こちら観客も年寄りジー様が10人ぐらい、50代女性が5人ぐらいの、残念なB級映画でした。

(この映画で、5番目ぐらいの出番がある、膝が悪くて杖を突いた女性は、服装は素敵なのに、杖の貧相な事。 日本では100均の杖だってカラフルなのに・・。 欧米に 日本の杖、売り込みましょうよ。年を取ったら、杖はファッションの一部にと!  年金暮らしの私だって、お出かけの傘杖と服は、色目とか合わせているのに・・。私の今日のテーマカラーはグリーン。 セーター、ネックレス、イヤリング、そして傘杖、皆グリーン系統。 ふっふ 今じゃ傘杖が 私のシンボルでプライドですよ)

 

 帰りに、『神津 善之介展』を観ました。

          

 スペインやイタリアだそうですが、むき出しの光ではない明るい日差しの色が、全てに優しく描かれていて、風景も静物も肖像も、優しく温かい絵でした。 中村メイコさんのご子息とのことですが、正直 母心として ホッとする 画家の人柄の良さが分かる作品群でした。

 シークレットガーデンと書かれた絵の数々は、転写技法で 薄白い中に描かれた一輪の花。これらも、新鮮でしたね。

 

 家に帰ると「Iさんから 電話が何度も・・」と GIが心配している・・。(何だろう?緊急かな?) 昼間会ったM様達に 「今時、携帯を持っていないなんて・・」と口々に呆れられ・・。「子供や姉達の携帯にも電話しないのに、友達と携帯で話すなんて・・。そんな友達はいらない」と言って、ひんしゅくをかったばかりの私・・。

 で、急いで 靴も脱ぎ散らして I様の自宅の電話にテレフォーン。

 I夫人「私 今度、病院に大腸の検査に行くの。1週間後だけどね。今日は 貴方は どこに行っていたの?」

 私「映画に・・」

 I夫人「ご主人とは 一緒じゃないの? いつも一緒かと思っていたわ」

 私「一人で朝から出てて、私は街で 昼は美味しい天ぷら食べて、主人がお昼に何食べたか知らないのよ。だから今から、急いでお詫びの晩御飯作りよ。 いつも夜の7時台には、絶対家に居るよ。検査の結果 知らせてね。お大事に」と電話を切ってから、急いで風呂。  疲れた足を揉む間もなく、即 夕飯作り。  

 下ごしらえしていた レンコンのきんぴら、白クジラのみそ和え、メインは、あじの一夜干しを焼きました。   ちなみに、I様は、70代だけど 美しく若々しくって、まだ現役で 教育的なお仕事を掛け持ち中。すごいね。

 そうそう、I様ご夫妻も、今春の園遊会に御招待され 訪問着で皇居へ。いいなあ、羨ましいね。究極の華やぎですね。

    

 庶民の勲章は、他人様から、退職祝い等で頂いた数々の品でしょうかね。

   その中のひとつの茶器で 菊の御紋のお菓子をパクリ。 庶民の味 ほうじ茶を注いで。

 

 

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変形性股関節症術後 2年8か月・・・ 江川ダム散策。

2016年11月17日 | 日記

 現在建設中の「小石原川ダム」の、『建設中・ダムカード』が作られたとのことで、急いで もらいに行きました。

 昭和55年度から調査を開始して、ようやく今年から本体着工。2020年の完成が待たれます!

 「小石原川ダム」は、工事車両以外は通行禁止ですので、その近くの「高木神社」に、工事の無事と我が家の家内安全を、わずかな お賽銭でお願いしました。 それから、少し手前にある「江川ダム」を一年ぶりで歩きました。

 

  

 去年の今頃は、術後1年8か月。まだまだ、身も心も不安定で、ノルディック・ストックを使ってダム道だけを歩きました。

 術後2年8か月の今。 この日は暑かったので、傘杖は日傘と化し、去年は、登る元気もなかった山道を、一人でグングン歩いて行ったので、GIが心配して 怒られました。  それくらい、私は、人工の足を気にしなくなりました。

 みんなみんな、有難う!  もう本当に大丈夫だよ!

 手術をためらっている貴方! 日常生活では、極力椅子に座ることを心掛け、極端な荒い動きさえしなければ、大丈夫ですよ!

  手術は怖いけど、人生には、踏ん切り時ってあるのよ。

 私は、深く考えず、さほど指圧?整体?なんかに通わず、病院を信頼し、手術して本当に良かった!

 多分、整体を治療と縋って通うのと、身体の快感を味わいたくて整体に通うのでは、人生そのものが 違ってくるのでは?

 股関節の整体に常時通われている方の話をお聞きしていると、宗教じみてますものね。 費やすお金が勿体ない!

  スパッと手術したら、楽になりますよ。痛くないので家族を心配させないので、 自分も周りも気持ちが明るくなりますよ!     とようやく、手術を勧められるようになりました。 心底からの納得に 2年8か月が経ったということです。

 

 ただ、歩くと疲れます。 それは、股関節からではなく外反母趾や腰や膝やの私の体全体の老いからきてるのでしょう。

 風呂の観葉植物。ぶら下がっているのは、サボテン。

   疲れた時は、大好きなお風呂。  入浴剤を入れて のんびり 湯につかり、 風呂上りには、ヨガマットに横たわります。  枕は、濡れた髪でもいい竹枕。足首はポールに乗せ、ゆっくりと足先曲げ伸ばし、ふくらはぎもみ、太ももマッサージ、腰上げなど 我流の運動を数分します。

 もう、これだけで OK,OKの 元気な足に戻ります。

 ベットに寝ると 翌朝には、痛かったことすら忘れて 新しい朝の始まり!  自分だけの人生 楽しもうよ!

  

  野ばらの赤い実。置いただけで、ダム歩きの思い出に浸れます。すぐにX’マスくるね。

 

  

 

 

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世界名作劇場展 「赤毛のアン」

2016年11月15日 | 日記

 1974年に結婚した私たちは、日曜日の午後7時30分のTV名作劇場が大好きでした。

        

 見知らぬ土地で、大家の離れの小さな家で、夫だけが頼りの日々。若い二人の夜は、TVを観ることが一番の娯楽でした。   愛らしい「アルプスの少女ハイジ」に始まり、子供が生まれても、日曜日の夜は、皆でずーっと名作劇場を楽しんできました。  今回、特に、夫も私も一番好きだった「赤毛のアン」に会えるのを楽しみに 街へ出かけました。

 私たちの思惑としては、アンの立体像やカップやバックといったグッズを期待していました。

 でも、今回の展示は、アニメスタジオの職場案内が主でした。

 製作スタッフが、物語の舞台の海外現地取材などで、背景にもこだわったきめの細やかさがあればこその 夢や感動があったんですね。  イメージやキャラクターやレイアウトなど、手を抜かない制作現場が、よく分かりました。

 岸田衿子の自筆の「おいで ラスカル」の歌詞 とっても素敵でした。全作品が、心温まるものばかりでした。

 それでも、「赤毛のアン」の絵本やグッズの販売もしてほしかったあ!  もっと、TV画面そのもののイメージで楽しみたかった!

 

 ランチの後、3年ぶりでの、夫の中洲歩きのお誘いを 断り切れずに歩きました。 異常に重い脚。だるい。しんどい。やっぱり駄目なんだ。少しのヒールのせいかしら?股関節とは関係ない外反母趾の痛さ。でも、たまには、セミフレアーのスカートに、短めのジャケットに、ヒールの靴履いて街を闊歩したいものね。だから歩きました。

 すると、途中で、今は無い筈の 黒田藩御用菓子の幻の「鶏卵素麺」の店を発見! 10月に再開店したばかりとか・・。

 16年前、『お嬢様を 息子のお嫁様に下さい』と 北の街に、この南の街から、八女茶と 黄金に代えて「鶏卵素麺」を献上してお願いしました。(お酒は、現地調達で・・) 素敵なご両親様から、テーブルに乗りきれないほどの カニ等のお料理の大歓迎を受けて、無事 お許しを得ました。 結納や結婚式は、北と南の真ん中の横浜・大都会でしたね。親戚の皆さまも、互いに遠方から ご苦労様でしたね。

 その思い出の黄金の菓子を、少しだけ 購入。   どうか、この南の街の 黄金の習わしが孫達にもつながりますように・・・。頑張れ、鶏卵素麺!

 

       茶器は、結婚をお世話したTちゃんからのお礼の品。

 

 

二人で クネクネ昇ったり下がったり デパートまで歩いて、ヘトヘト。

 

       

         クリスマスツリー や イルミネーション 十六夜のスーパームーン きれいだったね。

 最後に、ひよこの「かやしなカフェ」で、チョコレートケーキ(ザッハトルテ?)とコーヒーで寛いで帰りました。

 

 チョコレートケーキは、娘の親族披露宴の時の、素晴らしい美味さのケーキと久しぶりで同じ味で 美味しかったね。

(娘は、写真撮影と親族宴。グアムでの親族挙式。会社友人披露宴。そして親族披露宴と4回も披露宴をしました)

 2002年は、我が家 激動・波乱の年で、1月息子結婚、8月娘結婚、10月夫海外赴任、11月姑入院と、今思い出すと、大変な年でしたね。

 で、15年後の今は、こうして又二人で 歩きながら 怒ったり笑ったり くっついたり離れたり 楽しいね!

 

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