2016年4月。震度7の地震に2度も見舞われた熊本! 5年後の復興祝いにGIとの二人旅に出かけました。
まず、400年の歴史がある 熊本城へ。
まだまだね。
肥後熊本藩・初代藩主として 加藤清正(1562~1611)が1588年に入城し、1611年に新城を完成させ、隈本城から熊本城へと改称した城は、西南戦争直前の1877年(明治10年)に、火災で焼失。
でも、どんな時代にも、熊本のシンボルだった熊本城(別名・銀杏城)。1960年(昭和35年)鉄筋コンクリートでの再建でした・・・。 これから後・20年後に全面復旧の予定だそうですが、城門29もあるんだよ。すごいね。
今は、熊本城公園?として、美しい城の石垣を見ながら、4つも神社が城を囲む森のようにあるので そぞろ歩くのにはピッタリ。 後ろには、護国神社もあるのね‥見なかった・・。
明治4年・創建150年という「加藤神社」に参拝。 神社と空堀を隔てたお城の天守閣の眺めも 築城の名手・加藤清正が、より複雑な石垣つくりにしたって聞くと、感慨深い。
次に、城の前の駐車場に車を止めたまま、ランチをと TAXIで、出来たばかりの「アミュプラザ」へ。
思いのほか遠かった。 ん、アミュプラザの中に入った瞬間。これはチト、狭くて若者多すぎね。 年寄のコロナ警報発令と、1階の「ヒライのたまごはん」を買って、急いで 市電に乗って、駐車場へ戻りました。
城前から 最後の目的地、「新阿蘇大橋」へ。
ご冥福を祈りました。
地震によって落橋した橋に変わっての新開通。下の 長陽大橋からも眺められる とても長い新橋でした。
見晴らし台の、ジェラートも美味しかったね。
山々を見ながらのドライブ。 赤信号で止まったら、運転席のGIの口にパッと入れる、たまごはん。めっちゃ美味かったね。特に、海老と卵焼きを巻いたご飯の旨さ! プロの味でした。 メシを車の中でパクつくって、ホント笑う楽しさだね。お茶をがぶ飲みしながら・・。こんな昼食もありね♥
さあ、今宵の宿は玉名温泉「尚玄山荘」。ここは2度目・・。
夜はライトアップの お庭自慢の宿。
小さめのお宿は、満室で宴会も・・と・・。夜は部屋食。朝食時にお会いしたお泊りの方々は、やっぱり我らと同じ年恰好の方々とお見受けしました。(この日の玉名のコロナ感染者は、9名) 元気な70代は 気軽に動いて、残り少ない人生を 楽しんで生きなきゃね。
通販好き。同じに見える?
翌朝は、高瀬裏川水際緑地に 花菖蒲を見に・・。残念・まだでした。
菊池川。高瀬船着き場跡の眼鏡橋。
でも、近くの京和菓子の菊水堂で、孫達への土産を買い、縁台をお借りしてアイスキャンディを食べました。モダンなアイスも 新鮮で美味しかったね。
ラストが、日本最後の内戦・西南戦争の古戦場跡「田原坂公園」。日本赤十字社発祥の地との看板が至る所に・・。なーるほど、田原坂で、敵味方なく負傷者は助けましょうの精神ね・・。
ここの資料館もコロナ休み。だあれもいない山の中。ここが凹地で熊本城への大砲運んだ道とは信じられない位の山奥なんですが・・。
展望台の雄大さ。
私は、2日間の熊本旅の中で、ここが一番気に入りました。江戸開城、鎖国を考えさせる不穏なコロナ時代。
あーあー、このコロナ時代、西郷どん なら どう生きて考えた?天下国家の一大事に・・。
小池都知事に五輪大臣からクレーム? 都知事が あんなに、一生懸命の政治をしてるのに労りはないの?酷いね。 多分、大久保利通も西郷隆盛に今少しの理解の言葉を…と…明治の混乱も知らんけどさ・・・。
楽しく充実の熊本旅でした! GI、ありがとう。
GIと、美少年像の前で民謡「田原坂」を歌いました。私にとっては、歌の上手な2姉が良く歌ってた歌で、懐かしかったわ♥ 姉ちゃんは、こぶし回しが巧かったのよ・・。 GIも、よく知っていたね。
雨はふるふる 人馬は濡れる 越すに越されぬ 田原坂 (シャカホイシャカホイ)
右手に血刀 左手に手綱 馬上豊かな 美少年
草をしとねに 夢やいずこ 明けのみ空に 日の御旗
田原坂なら 昔が恋し 男同志の 夢の跡
退くに退かれぬ 田原の嶮は 男涙の 小夜あらし
春は桜よ 秋なら紅葉 夢も田原の 草枕 (哀愁に満ちてるシャカホイシャカホイね)
帰ったら、我が家の あやめが盛りでした。
読書会仲間だった方からの鈴蘭も咲いてました。元気?
孫へのお土産です。一緒に頑張ろう・熊本!