【2011年11月3日文化の日追記】
学校でも会社でも理系一辺倒で、歴史研究には全く素人だった私が本能寺の変の真実解明などできるわけがない。誰もがそう思うでしょう。私自身そう思っていました。
「さあ、真実解明を始めるぞ!」と思いは先行したものの、どこから手をつけてよいものやら。暗中模索。正にそういう状態でした。
本能寺の変の真実解明に駆り立てたもの ← 思いはこうでした
そこで自分の仕事 . . . 本文を読む
本日、久しぶりに国会図書館へ行ってきました。目的は高柳光壽氏の著書『明智光秀』で参考文献にあげている『浅野家文書』の山崎の合戦についての記事のコピーをとることと、美濃源氏フォーラムでの講演準備として『永禄六年諸役人附』のコピーをとることでした。
国会図書館のご利用案内を兼ねて、本日の私の行動をご紹介いたします。
国会図書館へ行くのは実に2005年以来の5年ぶりのことです。当時本能寺の変の謎 . . . 本文を読む
(4月20日 【推薦本】を追記)
インターネットでの情報収集で悟ったのは、やはり整理された情報を収集しなければならないという基本的なことでした。
そこで、歴史研究家の書いた本を読み漁って情報を集めることにしました。以前読んで本棚にしまってあった本を引っ張り出して読んだり、本屋やインターネット書店で買って読んだりと、2004年8月から10月ぐらいまでに30冊程度を読んだでしょうか。
読む場所は . . . 本文を読む
本能寺の変の歴史捜査は情報収集から始めました。このやり方は三十数年やってきた仕事のやり方と同じであることは既に書いたとおりです。といっても「謎はこうして解けた!」シリーズは久しぶりに書きますので忘れている方がほとんどだと思います。このシリーズの記事を振り返って読んでいただけると幸いです。
★ 真実解明の手法「歴史捜査」
実はこの手法が従来の本能寺の変研究とは大きく異なっていた点でした。
. . . 本文を読む
拙著『本能寺の変 四二七年目の真実』をお読みになった方はご存知の通り土佐の長宗我部氏は明智光秀と深い関係がありました。このことが光秀謀反の原因のひとつともなったのです。
したがって、本能寺の変の真相を理解するためには長宗我部氏についてよく知る必要があります。
ところが、残念なことに長宗我部氏に関する史料も現代に書かれた本も極めて少ないです。その原因が関が原の合戦の後、徳川家康が長宗我部氏を改 . . . 本文を読む
私を真実解明に駆り立てたものの一番目は「光秀子孫としての思い」ということはご説明した通りです。
★本能寺の変の真実解明に駆り立てたもの
この思いについて少し補足説明をさせていただきます。
「光秀の子孫と知ったのはいつですか?」という質問もよく受けます。「物心付いてすぐ」と答えていたのですが、もっとはっきりした答を言えないものかと記憶を辿ってみました。
そうすると不思議なもので、ずっ . . . 本文を読む
私を本能寺の変の真実解明に駆り立てることになった「ワクワクすることを求める気持ち」についてお話させてください。
2004年というと6年前、50歳半ばの頃です。
それまで仕事一途に突っ走ってきた人生でした。「定年後を考えねば」と思うようになったとき、はたと気が付きました。
「何もない!」「どうすればよいかわらない!」
丁度、仕事面でも閉塞感にとらわれていた時期でしたので、かなり悩みました。 . . . 本文を読む
「どうして一介のサラリーマンが本能寺の変の真実解明に挑戦する気になったのか?」 よく聞かれる質問です。
多分、いろいろなことが複合していたと思います。
『光秀子孫としての思い』 もちろん、これが一番でしょう。物心付いて以来、「主君を怨んで殺した謀反人」という言葉は私の心の重石(おもし)でした。いつかは真実を知りたい、という思いでずっといました。
★真実解明に駆り立てた「子孫の思い」 ← . . . 本文を読む