先週の放送では、三成が大名の妻子を人質として大坂城に集めようとした際に、細川ガラシャが人質になるのを嫌って「自害」する場面が出てきました。自害といってもキリスト教徒のガラシャには自殺が禁じられているため、家臣に槍で胸を突かせて死にました。有名なお話ですが放送では燃え盛る座敷に残っていたのはガラシャと家臣一人だけです。この件の目撃者は誰だったのでしょうか?
Wikipediaで確認するとこの家臣は小笠原秀清という家老のようです。秀清はガラシャを長刀でついた後に屋敷に火をかけて自害したと書かれています。屋敷から逃げ出した家臣もいたことが書かれていますので、この状況であればガラシャの「自害」の目撃者がいた可能性があります。どうでもよいこだわりかもしれませんが、歴史捜査を行っていると、ついつい目撃者の存在が気になってしまいまして。
今回のこのこだわりからは歴史捜査の華々しい成果は出ませんが、ガラシャのキリスト教入信時期についてのこだわりからは「光秀キリシタン説」に根拠がないことを証明しました。これからもこだわって歴史捜査を継続します。
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Wikipediaで確認するとこの家臣は小笠原秀清という家老のようです。秀清はガラシャを長刀でついた後に屋敷に火をかけて自害したと書かれています。屋敷から逃げ出した家臣もいたことが書かれていますので、この状況であればガラシャの「自害」の目撃者がいた可能性があります。どうでもよいこだわりかもしれませんが、歴史捜査を行っていると、ついつい目撃者の存在が気になってしまいまして。
今回のこのこだわりからは歴史捜査の華々しい成果は出ませんが、ガラシャのキリスト教入信時期についてのこだわりからは「光秀キリシタン説」に根拠がないことを証明しました。これからもこだわって歴史捜査を継続します。
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ガラシャ自害の目撃者は、霜と「をく」という二人の侍女だそうです。
昨年開催の細川家の至宝展に展示されていた「霜女覚書」にありました。
「霜女覚書」は事件から47年も経ってから、細川三尚の命により霜本人が書いて提出したとのことです。
霜さんは当時非常に若く、そして高齢になってから証言したように見えますが、細川家記とは異なった証言もあるので、やはり彼女の目線の記憶なのかなと思いました。
その証言に拠れば、家族や使用人は全員逃がし、屋敷に残った男性家臣は全員切腹、そしてガラシャの死を報告する依頼を本人から受けた霜とをくだけが、火事の野次馬に紛れて逃げて生き延びた、という次第のようです。
霜女覚書と細川家記の記述の違いを分析したくなりますね。それぞれにバイアスがかかっていて霜女はガラシャのことをよく書きたかったでしょうし、細川家記は細川家に都合よく書こうとしたでしょう。
印象としては霜女覚書に軍配を上げたくなります。なにしろ細川家記は事件から150年くらいたってから編纂された書物ですので。
近畿地方在住の私は、大河ドラマ、江がきっかけで、若いころ訪ねたりした、滋賀県の明智さん関連や京都府の明智さん関連の地にまた訪れるようになってます!
盆休みに安土信長の天守の有る施設に行きました!今度、30年ぶりに、安土城に、秋ごろ行こうと、思います!
今日仕事で名刺交換した女性が、明智さんでびっくりしました!明智さんに出会えたのは、初めてです。高校時代の同級生に、明田君はいましたけど・・・。
ガラシャさん関連地も訪れてみたいです。
京都の勝竜寺城も現在は綺麗な城公園になってますが、それ以前の写真も撮影した事が有ります。
亀岡市のお客様が、そんなに好きなら明智光秀様になって下さいと、亀岡時代祭?の事を教えて下さいました。その時は体調が悪くて参戦できませんでした。たしか、光秀様は、女性がされてました。
すみませんあまりここに関係ないことを・・・。
この前、名刺交換した、明智様は兵庫県の方でした。
近畿地方でお知りになりたい事で、僕が分かる事なら、協力しますんで・・・。