本能寺の変 「明智憲三郎的世界 天下布文!」

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大河ドラマ「江」の歴史捜査20:マデノコウジ!who?

2011年05月31日 | 大河ドラマ「江」の歴史捜査
 先週の大河ドラマ「江」は秀吉と茶々の愛憎ドラマの山場で、あまり歴史捜査的に云々することはありませんでした。脚本家の自由な創作にお任せの世界です。
 でも、一箇所だけ。
 秀吉が茶々に縁談話を持ってきたシーン。縁談の相手は公家の名門「マデノコウジ」様。石田三成は「マデノコウジ様は信長の娘も嫁いだ先」と言っていました。
 wikipediaで調べたら確かに万里小路充房(までのこうじ・あつふさ)という人が信長の娘を娶っていました。1562年の生まれとのことなので聚楽第ができた1587年には25歳。
 そうすると茶々の縁談先はこの充房の弟あたり?弟だとするとかなり格下ということになりそうです。それとも充房の子供?子供の孝房は1592年生まれでまだ5歳。そうなるとこの話も脚本家の創作?
 この番組の時代考証を担当している小和田哲男教授に江には万福丸という兄弟がいたのかどうか、といったことも含めて一度整理した解説をお願いしたいものです。
 ★ 兄・万福丸の処刑の真相
 ★ 万福丸ショック 

 それにしても最近「江」についての記事を書こうと思って放送された場面を思い出していると主題曲が自然に頭の中に流れ出すので困っています。昨年の「龍馬伝」の方が話としても好きでしたし、主題曲も間奏曲も好きでしたので。

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明智 憲三郎
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2 コメント

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大河ドラマに関する考察・・・同感致します (まっつん)
2011-05-31 22:29:55
大河ドラマに関する明智様の考察 全く同感致します 私も 結構 「江」の曲が頭の中にこびりついてしまってます・・・ もちろん 私も 昨年の『龍馬伝』の方が断然好きでした。明智様が以前述べられたように『龍馬伝』は 比較的史実に沿って創られていたように思います(龍馬と弥太郎が幼馴染だった事 龍馬と薩摩藩との間に軋轢があった事 小松帯刀の龍馬に対する態度 龍馬が容堂公に直接大政奉還を訴えた事・・・以外は・・・)それに比べ「江」の ストーリーの展開にはウンザリ致します・・・ 逆に史実とあまりにも異なる所は批判的な視点で観ていきたいと思います 視聴者の大半が今回の「江」のようなストーリーを鵜呑みに理解していると 現代にも『明智軍記』のようなものが形成されてしまうと思います・・・  
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本当に恐れています! (明智憲三郎)
2011-06-01 21:24:16
 『明智軍記』を最悪の俗書と決め付けた歴史学界がその中の記述を肯定してしまって定説を作ってしまっている現実は恐ろしいことです。それが未だに『明智軍記』の創作が大手をふるってまかり通っている原因でしょう。
 さらにこのような状況を黙視してていると、100年後には大河ドラマ「江」のストーリーが歴史の定説になってしまっているかもしれません。恐ろしいことです。とても焦ります。
 こういった現実を変えていくのも我々「草の根」しかないのでしょうか。歴史学界、マスメディアの厚い壁の前にはなはだ小さな存在であり残念ですが、誰かが諦めずにやらねばならないのでしょう。私は諦めずにやりますので是非後押しをよろしくお願いいたします。
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