先週の大河ドラマ「江」は秀吉と茶々の愛憎ドラマの山場で、あまり歴史捜査的に云々することはありませんでした。脚本家の自由な創作にお任せの世界です。
でも、一箇所だけ。
秀吉が茶々に縁談話を持ってきたシーン。縁談の相手は公家の名門「マデノコウジ」様。石田三成は「マデノコウジ様は信長の娘も嫁いだ先」と言っていました。
wikipediaで調べたら確かに万里小路充房(までのこうじ・あつふさ)という人が信長の娘を娶っていました。1562年の生まれとのことなので聚楽第ができた1587年には25歳。
そうすると茶々の縁談先はこの充房の弟あたり?弟だとするとかなり格下ということになりそうです。それとも充房の子供?子供の孝房は1592年生まれでまだ5歳。そうなるとこの話も脚本家の創作?
この番組の時代考証を担当している小和田哲男教授に江には万福丸という兄弟がいたのかどうか、といったことも含めて一度整理した解説をお願いしたいものです。
★ 兄・万福丸の処刑の真相
★ 万福丸ショック
それにしても最近「江」についての記事を書こうと思って放送された場面を思い出していると主題曲が自然に頭の中に流れ出すので困っています。昨年の「龍馬伝」の方が話としても好きでしたし、主題曲も間奏曲も好きでしたので。
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【拙著『本能寺の変 四二七年目の真実』批判への反論シリーズ】
1.藤本正行氏「光秀の子孫が唱える奇説」を斬る!
2.鈴木眞哉氏『戦国「常識・非常識」大論争!』を斬る!
3.鈴木眞哉氏『戦国「常識・非常識」大論争!』を斬る!(続き)
4.鈴木眞哉氏『戦国「常識・非常識」大論争!』を斬る!(続きの続き)
5.信長は謀略で殺されたのだ:本能寺の変・偶発説を嗤う
6.信長は謀略で殺されたのだ:本能寺の変・偶発説を嗤う(続き)
7.信長は謀略で殺されたのだ:本能寺の変・偶発説を嗤う(完結編)
でも、一箇所だけ。
秀吉が茶々に縁談話を持ってきたシーン。縁談の相手は公家の名門「マデノコウジ」様。石田三成は「マデノコウジ様は信長の娘も嫁いだ先」と言っていました。
wikipediaで調べたら確かに万里小路充房(までのこうじ・あつふさ)という人が信長の娘を娶っていました。1562年の生まれとのことなので聚楽第ができた1587年には25歳。
そうすると茶々の縁談先はこの充房の弟あたり?弟だとするとかなり格下ということになりそうです。それとも充房の子供?子供の孝房は1592年生まれでまだ5歳。そうなるとこの話も脚本家の創作?
この番組の時代考証を担当している小和田哲男教授に江には万福丸という兄弟がいたのかどうか、といったことも含めて一度整理した解説をお願いしたいものです。
★ 兄・万福丸の処刑の真相
★ 万福丸ショック
それにしても最近「江」についての記事を書こうと思って放送された場面を思い出していると主題曲が自然に頭の中に流れ出すので困っています。昨年の「龍馬伝」の方が話としても好きでしたし、主題曲も間奏曲も好きでしたので。
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さらにこのような状況を黙視してていると、100年後には大河ドラマ「江」のストーリーが歴史の定説になってしまっているかもしれません。恐ろしいことです。とても焦ります。
こういった現実を変えていくのも我々「草の根」しかないのでしょうか。歴史学界、マスメディアの厚い壁の前にはなはだ小さな存在であり残念ですが、誰かが諦めずにやらねばならないのでしょう。私は諦めずにやりますので是非後押しをよろしくお願いいたします。