先週の大河ドラマ「江」は「茶々の反乱」と題して、秀吉の庇護を受けている茶々を秀吉が側室にしていくプロセスが描かれていました。秀吉が豪華な着物をたくさん贈ったり、その代わりに母親・市からもらった着物を処分してしまったり、それを茶々はじめ三姉妹が怒ったり、千利休が取り持ち役を果たしたりと現代のトレンディードラマ風のお話でした。もちろん、これらのエピソードはいずれも脚本家の創作であり史実ではありません。
でも、茶々が秀吉に庇護された史実と、その後に側室となった史実を考えると、その中間をつなぐものとして、こういうことがあったのではなかろうかと納得して見た方も多いのではないでしょうか?大河ドラマの脚本家はこのあたりの機微をよくとらえていると関心した方もいたのでは?
しかし、本当は全く別の事情や経緯があったかもしれません。後世の我々にはわからない様々な可能性があったはずです。それを、現代人の感覚で虚構の真実を作ってしまうのは余りに危険です。
とはいえ、私は大河ドラマ「江」に対して目くじらを立てるつもりはありません。おそらく多くの方が冷静に史実と創作とを見極めているように思うからです。視聴者はだんだん賢くなっているのです。
★ 大河ドラマ「江」:週間新潮記事
私が目くじらを立てるのはむしろ歴史研究家の方です。
本能寺の変研究のバイブルのように扱われている『明智光秀』という本があります。この中で著名な歴史研究家が次のような記述を行っています。
(光秀が本能寺の変の直前に愛宕山で連歌の会を催した際に粽(ちまき)を包んだ笹の葉と一緒に食べてしまったという話について)「この『林鐘談』という本は何といっても俗書であるから、この話はこのままには信じかねる。しかし光秀が苦悶懊悩していた様子はよく現しているといってよい」
「この『川角太閤記』という本は、誤りも多いけれども、肝要なことはよく捉えており、珍重すべきところも多い」
(『川角太閤記』の光秀出陣の記述に対して)「出発前に荷物を西国へ送ったこと、軍勢を信長の検閲に備えると触れたことなど、まことに用意周到といえる。ことにこの触れを老臣どもに相談する前に物頭を集めてしているところなど、細心深重の様子が見えて何とも面白い」
「この『川角太閤記』の記事はこの間の事情を最もよく穿ったものといえよう」
この本は出版されて既に50年たつ本ですが、今でも名著として崇め奉られています。
★ amazon『明智光秀』の書評
★ Wikipedia『明智光秀』著者の記事
★ 紀伊国屋書評空間2009年9月26日の『明智光秀』書評
私は『川角太閤記』や『林鐘談』といった江戸時代の大河ドラマといってよい軍記物のストーリーを権威ある歴史学者が受け入れてしまって世に広めてしまったこと、そしてそのことを無批判に称えて誉めそやしている研究家・ジャーナリストに危機感を持ち、目くじら立てています。『川角太閤記』や『林鐘談』という言葉を『大河ドラマ「江」』と置き換えて読んでいただければ私の思いがよくわかっていただけると思います。今から三百年後の歴史学の大家が「この『大河ドラマ「江」』の話はこの間の事情を最もよく穿ったものといえよう」と言っている様をご想像ください。
大河ドラマ「江」に目くじらを立てて評論するエネルギーをもっと価値あるところへ注いでいただければと思うのですが・・・
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しかし、本当は全く別の事情や経緯があったかもしれません。後世の我々にはわからない様々な可能性があったはずです。それを、現代人の感覚で虚構の真実を作ってしまうのは余りに危険です。
とはいえ、私は大河ドラマ「江」に対して目くじらを立てるつもりはありません。おそらく多くの方が冷静に史実と創作とを見極めているように思うからです。視聴者はだんだん賢くなっているのです。
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