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本能寺の変 「明智憲三郎的世界 天下布文!」

『本能寺の変 431年目の真実』著者の公式ブログです。
通説・俗説・虚説に惑わされない「真実」の世界を探究します。

大河ドラマ「江」の歴史捜査8:秀吉の天下盗りは嫉妬?

2011年02月28日 | 大河ドラマ「江」の歴史捜査
 昨日の大河ドラマ「江」では憧れのお市様を柴田勝家に取られたことに怒って秀吉が勝家討ちと天下盗りを決意しました。天下盗りの理由が女性の取り合いにあったとは武将たちも三面記事扱いです。
 ★ 本能寺の変は三面記事?

 一般の方々だけでなくマスメディアや歴史研究にたずさわる方々までもが陥っている歴史解釈上の誤りは軍記物容認、蓋然性(裏付け)不足と並んで、この武将私人論の3点だというのは私が常々主張していることです。下記の寄稿文にも書いていますので、ご参照ください。
 ★ 情報システム学会寄稿文

 当時の武将は現代の政治家のような公人なので、公人としての意思決定をしていたというのが私の主張です。ただ、昨今の政治家を見ると本当に公人として意思決定をしているのかと疑いたくなるような発言も目立つので、私の主張の説得力が低下しているのが残念ですが・・・

 それでは秀吉自身はどのように言っているのかみてみましょう。『惟任退治記』と同様に秀吉が家臣に書かせた『柴田退治記』(柴田合戦記とも)にどのように書かれているか調べてみました。
 ★ 通説を作った羽柴秀吉『惟任退治記』

 意訳すると下記のように書かれています。
 「秀吉が織田信忠(信長長男)の嫡男(信長の嫡孫)に織田家家督を継がせて安土に安置して守護すると決めたことに対して、織田信孝(信長三男)が柴田勝家・滝川一益と相談し、このままでは秀吉が天下をほしいままにすると言って敵対することにした
 
 つまり、秀吉の手から「織田家を守る」と信孝が決意して敵対したことが「柴田退治」の原因だと書いています。当然のことですがお市様のことは一言も書かれていません。秀吉自身がこれは政権抗争だと書いているのです。
 
 秀吉はこの後、極めて巧妙な手を使います。『柴田退治記』には次のようなことが書かれています。
 勝家が積雪で越前から軍勢を動かせない状況を生かして信孝、滝川を孤立させてたたきます。それだけでなく、家督を継いだ嫡孫・三法師の後見に織田信雄(信長二男)をつけて織田家名代とします。
 織田家を分裂させた上で、勝家を倒し、続いて信雄が信孝を自害させるという形で「織田家を守る」戦いに勝利したのです。しかも、それは「柴田退治」であって「織田信孝退治」ではないと『柴田退治記』で宣伝したのです。信孝の最期を『柴田退治記』は次のように書いています(意訳)。
 「信雄が岐阜に攻め入る。信孝は自害を覚悟し信長から授かった太刀で自ら死す。逆心をもって滅びたのは天命である

 織田家を守ろうとした信孝は反逆者の烙印を押されてしまったわけです。

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