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「ドロマン」 川瀬 孝二 

2013年05月11日 00時01分41秒 | 大道芸
 「祭りの商人 香具師」 川瀬 孝二 著  昭和62年

 「ドロマン」

 長い冬が始まると、春が待ち遠しい。
春から桜は陳腐な連想だが、今回は別の「サクラ」についての話である。
「あいつはサクラだよ」などと使われる「サクラ」だ。
面白おかしく人を集め、客を乗せて畳み込み、ころはよしと商品を売りにかかる。
この肝心かなめの瀬戸際を香具師(やし)の符丁で「おとしまえ」という。
そして「こまし」に目の色を変えるのである。
「こまし」とは、品物を金に換えることで、客の財布の口を開かせることである。
その瞬間をとらえ、仲間が客に化けていち早く買う。
それにつられて、本当の客が手を出すことになる。
つまり、呼び水の役割を果たすのが「サクラ」である。

 なぜ「サクラ」なのかといえば、花のいろどりという意味もあるが、
パッと咲いてパッと散るありさまの表現である。

 香具師は売ることを「散らす」という。
「このネタ(商品)はよく散った」などと使う。
このサクラ役のことを隠語で「トハ」というのは、ハトを逆にした言葉で、
鳩は一羽飛び立つと、続いて全部の鳩が飛び立ってゆくからである。

 トハといえば、「ドロマン」を思い出す。
「ドロマン」とは即ち泥にまみれた万年筆の泣きバイだ。

 駅の階段あたりで、まだあどけなさの残る青年が、
ふろしき包みを足元に置き、首をうなだれて座り込む。
通りかかった風の人が、何をしているのかとしきりにたずねると、か細い声で話すには、
「青森から上京して、万年筆工場で働き、長い病で働けない母親に仕送りをしていたが、
工場が火事になり、会社は倒産して給料はもらえない。
国に帰りたくても汽車賃がないので途方に暮れている・・・・・」。
やがて、おいおいと声を上げて泣き崩れる。

「そういえば一ヶ月前の新聞に出ていたあの火事か。
ところでそのふろしき包みは何が入っているんだ」
「給料のかわりに、焼け跡に埋まっていた万年筆をもらった」と言いながら包みを開ける。
 
 そこには泥にまみれた万年筆の山がある。
一つ取り出して袋を開けると、ピカッと光った見事な万年筆ではないか。
「えっ、これはパーカーじゃないか。三千円はする品物だ」。
周囲に集まってきたやじ馬の方をふり向くと、
「かわいそうだから買ってやってください」などと言いながら、
「五百円でいいだろう」と金を渡す。
それにつられて買う者があとに続く。
当然、たずね役を演じるのが「トハ」である。

 ネタをいかにも焼け跡から持って来たよに見せるには、カイロ灰に水を加えて、
商品を混ぜるのがコツだそうだ。
ドロドロの汚れた中から、新品の万年筆を取り出す視覚効果は絶大である。

 「トハ」は本来、瞬間芸である。
「ドロマン」は香具師(やし)の嫌うだまし売りだが、
そのつど本物の涙を流す泣きバイの迫真の演技には、泣かされてしまったものである。