民話 語り手と聞き手が紡ぎあげる世界

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「渥美 清」 堀切 直人

2013年05月15日 00時28分16秒 | 大道芸
 「渥美 清」 浅草・話芸・寅さん   堀切 直人(1948年生)著  晶文社 2007年 

 フランス座時代、渥美清は暇があると、外出して、浅草寺境内でテキ屋の啖呵売を眺めていた。
佐山淳の「女は天使である」によると、
「オレも何度かその姿を目にしたが、渥美は腕を組んで斜めからじっくりテキヤを観察し、
口上を楽しむというより、なにかをつかもう、感じようとしているようだった」。 
「浅草のコメディアンは、渥美にかぎらずだれもがテキヤを見、観察していた。
口上、声の調子、客とのかけ合い、客の反応、それらを見て、聞いて、肌で感じて、すべてを吸収する。
芸を見て盗むことができるかどうかが、芸人になれるかどうかの分かれ目なのである」。

 井上ひさしは、当時、渥美清から、テキ屋の啖呵売に関わる、次のような言葉を聞いたと言っている。
「おれたちは役者だよ。台詞を言う人間だよ。言葉だけで、お客さんを引き寄せ、
しまいには財布の紐をほどかせるこの商売は、役者の稽古にはもってこいなんだ」。

 昭和三十二年当時の浅草寺の境内では、平日でも大勢のテキ屋が店を張って、
魅力的な口上を競い合っていた。
佐山淳は前掲書で、その盛況ぶりをこう書いている。
「このころの浅草のテキヤには、学生服に袴姿、
安物のバイオリンをキーキー鳴らしてのんき節を歌っていた石田一松がいた。
学生服を着て詰め将棋の講釈をしている男がいた。
おなじみのガマの油売りは、自分の腕を居合い抜きの刀で切って血をしたたらせて膏薬を塗り、
「ほーれ、これですぐさま血が止まり、傷が跡形もなく消えてしまう。」とやっている」。
「通りかかった客を引きつけ、最後に買わしてしまうテクニックは相当なもので、
何度見ても見飽きない名調子も多かった」。