民話 語り手と聞き手が紡ぎあげる世界

語り手のわたしと聞き手のあなたが
一緒の時間、空間を過ごす。まさに一期一会。

「私の作文教育」 その7 宇佐美 寛

2017年06月02日 00時00分53秒 | 文章読本(作法)
 「私の作文教育」 その7 宇佐美 寛 (1934年生まれ、千葉大学名誉教授) さくら社 2014年

 第二章 「過程作文(発想作文)」・「編集作文」 その5 P-42

 「作文とは頭の中に出来上がっている内容をそのまま文字にすることだ。」というような迷信が支配的なのだろう。そうではない。筆記具を持って書くからこそ考えが生じ、まとまるのである。
 右の「書く」は、文(センテンス)を書くのである。前述のように、一文一義の文を重ねるのである。段落(パラグラフ)を書くのではない。段落など気にすべきではない。

 命題の単位である文をつみ重ねることによって考えるという流れの勢いが必要なのである。くどく、しつこくつみ重ねるのである。どんどん多くの文を書くのである。気軽に、スピードを上げて、たくさん書くのである。この気軽さは貴重である。

 これに対し、次のような批判が有るだろうか。
「それでは、やたらに重複、無駄、混乱が生ずる。乱れた、整わない文章になる。」
 そんなことは、後(あと)で直せばいい。それだけのことである。つまり、「くどく、しつこく」、しかも勢いをつけて書いた第一次作文を編集(editing)しなおせばいいのである。(「編集」という語の代わりに「修正」や「批正」と言ってもいいのかもしれない。しかし、大規模な組みかえ、入れかえ、書き足しまでを含むのだから、「編集」は良い語である。アメリカ作文教育界のeditingという語を借りる。)

 つまり、第一次作文で内容を十分に確保し、第二次作文でそれを再組織すればいいのである。このように、入念な作文は二回(二段階で)するつもりで書くべきものである。「過程作文(発想作文)」と「編集作文」の二段階である。