民話 語り手と聞き手が紡ぎあげる世界

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オーディション

2018年05月07日 23時36分25秒 | 身辺雑記
今日(7日)は朗読劇のオーディションがあった。
音訳ボランティアの養成講座の修了者の組織「ひびき」では、
有志が集まって、毎年、12月に群読と朗読劇の発表会をやっている。
今年は40人の参加希望者がいた。
男はオレひとり。
群読は全員参加、朗読劇は希望者のみ参加、それでも30人は超えている。


朗読劇では前もって台本を渡され、登場人物の中から自分のやりたい役を決める。
今回、やるのは30分を超える大作。
登場人物8人の中、6人が男。
男はオレひとりしかいないのにどうしてこんな作品を選んだろう、疑問が残る。
オイラはほんとうは、いま習っている朗読の勉強にもなると思って「語り」をやりたかった。
だけど、アクセントに自信がなく、セリフだったら多少アクセントがおかしくても許されるだろうと思って、
年も近い職人の親方を選んだ。
物語の中心人物だ。
語りには15人の応募があり、オイラのには5人の応募があった。
台本の一部を抜粋して、それぞれが応募の役を演じる。
まさしくオーディションそのものだ。
去年は群読のみの参加だったのでオーディションは経験していない。
選んだ役とは別に二人の老人の役の応募者が少なかったのでオイラがやった。

夜、審査結果のメールがきた。
落ちた。
選ばれたのは二人の老人の中のひとりだった。
登場回数も少なく、従ってセリフも少ない。
(いま調べてみたら2回の登場でセリフは1行と3行)
結果を見たときは「あぁ、そうか、落ちたのか」くらいにしか思わなかったが、
その後、そのことが頭の中から離れなくて、モヤモヤした気持ちを引きずっていた。
突然、落ちた悔しさがこみあげてきた。
オイラにもまだこんな感情が残っていたんだ。
すぐ気を取り直して、語りなんか15人もの応募者がいて選ばれるのはたったひとりじゃないか。
それに、みんな何年もやってきたベテランの人たち。
落ちた悔しさをバネに何年も頑張ってきたのだろう。
そう思ったら気持ちが落ち着いた。
12月の発表会まで月に1、2回の練習がある。
来年に向けての修行と思って頑張ってみよう。