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「日本語の学校」 鴨下 信一 はじめに その3

2016年09月13日 03時11分57秒 | 朗読・発声
 「日本語の学校」 声に出して読む<言葉の豊かさ> 鴨下 信一 平凡社新書 2009年

 はじめに その3

 ぼくの成長期は戦中と戦後すぐですが、それは<ラジオの時代>でした。
 和田信賢、藤倉修一、高橋圭三、志村正順等の名アナウンサーが星の数ほどもいました。落語、講談(浪曲もそうです)、漫才、漫談といった「語り物」の芸はラジオの花形でしたし、これは特筆すべきですが、何人かの「朗読」の名人が出て、この新しいジャンルの芸を確立しました。『宮本武蔵』の徳川夢声(活動弁士のスターだった人です)『半七捕り物帳』『青蛙堂鬼談』(どちらも岡本綺堂著)の市川八百蔵(後の八代目中車)などです。戦後になると、ここに『日曜名作座』の森繁久弥、加藤道子、『銭形平次』の滝沢修などが参入してきます。トニー谷という異色のコメディアン(「レディーズ&ジェントルマン、アンドお父っつぁん、おっ母さん」のキャッチフレーズで大人気、多少教育的には悪い人でしたが)、この人の『トニーの童話』は聞きものでした。
 こんなことをずっと書いてゆくとキリがありません。<音になった日本語>は本当にぼくの生活を豊かで幸福にしてくれました。ラッキーとしかいいようがありません。その後、テレビドラマをはじめとする劇の演出家、つまりは<書かれたセリフを俳優が音にする>作業をガイドする職業についたのですから、<音になった日本語>にはどんなに感謝してもし足りません。


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