標高330mのモノローグ

富士山の10分の1、東京23区最高峰の10倍の山間に暮らして20年。地域の自然や思いを綴ります。

今は企画された応援上映で昔は上映中の自然発生的な応援

2017-09-15 19:25:53 | 日記
昨夕(14日)のニュースで「応援上映」という話題が取り上げられていた。予め応援上映を前提に制作されていて、セリフに一定の間が置かれている。観客が歓声や声援を上げたり、ツッコミを入れたり、劇中のセリフを唱和したりできる。ファンが作品の興奮や感動を共有できるという。始めて応援上映という言葉を知った。

しかし、一方で応援上映と知らずに入場してトラブルになったり、迷惑行為で中止になったりしたことがあるようだ。


最近の映画館はビルの中にあるので、外からは映画館の存在が分かりにくい。ビルの映画館フロアーに入ると、すでに照明が暗く、予告の看板が多く、上映中の映画が分かりにくい。写真左のインフォメーションをみて分かる。

私は小学生の頃、父とよく映画に行ったのを覚えている。主として東映の時代劇だったが、時々外国映画もみた。西部劇やドキュメンタリーなどだ。父は映画好きで、学校の授業を午前中で終え映画館に行ったこともあったようだ。しかし、私には学校をサボって行ったという覚えはない。学校の休みの手続きは父が行っていたのだろう。後で知ったことだ。とにかくこの頃見た映画シーンのカットが今でも思い出される。

時代劇の終盤、決まったように起こる劇場内の情景を思い出す。勧善懲悪というストーリーがほとんどであった。話が進んでやがて終盤、主人公が悪と戦う。あるいは戦いに敗れそうになる。その瞬間画面が入れ替わり、御用の提灯を高く掲げた助っ人集団が駆けつけるシーンになる。その瞬間、劇場内に観客の拍手の音が鳴り響く。お決まりのような終盤の劇場内だ。この光景が拍手の音とともに思い出される。

拍手だけでなく、歓声も上がっていたかもしれない。しかし、これは企図された応援上映というより、ストーリーから自然に観客が感動し劇場が共鳴したのだと思える。


お決まりのポップコーンや飲み物売り場

応援という意味では、今も昔も共通するかもしれない。しかし、今は製作段階から企画された応援シーンだ。昔は、テレビやスマホもない、映像といえば映画しかなかった。どの映画館も本編の前にニュースと予告編などを流していた。この時代の映画はストーリーそのものに感動して拍手が起きたのだと思える。「昔の拍手・声援は応援上映ではない」と断定するのは、爺(ジジ)のつぶやきかもしれない。
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