標高330mのモノローグ

富士山の10分の1、東京23区最高峰の10倍の山間に暮らして20年。地域の自然や思いを綴ります。

全盲新井先生の講演「心はいつもバリアフリー」を聴講

2017-09-23 19:14:54 | 日記
37歳で全盲になり、絶望の時期、リハビリを経て、ノーマライゼーションを目指し10年間の奮闘の末、公立中学校の国語教師として赴任された。新井先生のことは、NHKや日本テレビでドラマ化され、本も出版されていてよく知られている。本日、彼岸の中日で道路が渋滞の中、妻と二人で会場の秩父市歴史伝承館まで足を運んだ。

講演の案内パンフレット


講演に先立ち昨年テレビ放映されたVTRで、新井先生の授業風景を視聴した後、1時間程講演があった。

VTRの中で象徴的だったエピソードがある。先生は新入生の一人ひとりの自己紹介で、最後に生徒たち一人ひとりの「オンリーワン」を話してもらうことにしているという。録音された生徒たちの言葉を聞き直し、生徒の印象を音声でイメージしているという。

新井先生の話は障がい発生の以前から始まった。続いて、障がいが発症した時の、ショック、絶望感を語った。孤独で死にたいと思っていた時、妻がそんなにつらくて死にたいなら、妻子ともども家族5人で死のうという発言により、自殺を思いとどまったという。

その後、リハビリを受け、同じ障がいのある仲間を知った。人との出会いを通じて「できないことを数えるより、できることを数えなさい」という言葉を聞き、それを実感した。リハビリにより、一人でコンビニまで行けるようになった、点字が読めるようになったなど、障がいがあってもできることを知るようになったとのこと。

その後、障がい者の復職を支援する教師の会の支援をうけ、10年間の活動を通して、一般の中学校の国語の教師として赴任することとなった。ノーマライゼイションを教育の場で達成できた。

そして、話は教育のあり方の話へと進んだ。
教育現場にはあまり障がい者がいない。大卒後、社会経験のないまま教師になる。その教師は、障がいのことが分からないから障がいを無視する。それが差別となる。差別のない社会づくりには、障がいのある人がいるということを小さい時から知ることが必要だと力説した。

締めくくりとして、昨年の7月27日に起こったやまゆり園での殺傷事件に触れた。当時、報道で犯人が供述した「重度障がい者は生きている意味がない」ということが、報道された。新井さんは、自分も障がい者になった時、生きている意味がないと思った時期があったとのこと。この言葉を耳にして胸が痛み、未だに自分でも消化できていない。しかし、この言葉を放っておくと、弱い者いじめに陥ってしまう。報道を聞き、誰かこの言葉を強く否定してくれる人が出てくることを願ったと語る。

今、教育界はゆとり教育を見直し学力向上を目指そうとしている。新井先生は語る。英語を小学校から学ばなくともよいのではないか。学力主義の詰め込み教育ではなく、ゆとりのある教育が必要だ。現状とは異なるが、学校に障がいのある児童がいる、社会には障がいのある大人がいるのが当たり前の社会づくりが必要だ。色々な人がいるという環境の中でゆとりを持ち、命の大切さと思いやりのある人づくり教育が必要だ。

この他、視覚障がいについて一人ひとり見え方などが違うなどの話しをされた。また、残念ながらホームからの転落事故が絶えない。全国すべての駅にホームドアを設置するというのは難しい。したがって、白い杖を持ったあるいは盲導犬を連れた視覚障がいの人を街で見かけたら、声をかけて欲しいと訴えておられた。

1時間の講演であったが、新井先生の四半世紀の足跡と現在も活躍されている様子が、聴衆を元気づけたと思う。雨模様の朝だったが、講演が終わったころには、雨が上がり何かすがすがしい気持ちで帰路についた。

(付記:最後に新井先生が朗読した川崎洋さんの「存在」という詩の紹介)

    存在  (川崎洋作)

「魚」と言うな  シビレエイと言えブリと言え
「樹木」と言うな 樫の木と言え橡の木と言え
「鳥」と言うな 百舌鳥と言え頬白と言え
「花」と言うな すずらんと言え鬼ゆりと言え
  さらでだに
「二人死亡」と言うな 太郎と花子が死んだ と言え
コメント (1)
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