標高330mのモノローグ

富士山の10分の1、東京23区最高峰の10倍の山間に暮らして20年。地域の自然や思いを綴ります。

発達障害を障害というのではなく、特性として対応する

2017-09-27 19:32:54 | 日記
NHKのあさイチで発達障害のことを放送していた。以前からしばしば取り上げている。今日は大人の発達障害のことでパニックやコミュニケーションの取り方についてがテーマであった。

ゲストの栗原類さんがアメリカと日本とでは(発達障害)に対する認識が違うという発言をしていた。アメリカの方が障害に対する理解・対応がよいというニュアンスだった。



発達障害にかかわらず、日本は過去、健常者をモデルとした社会づくりをしてきた。障害のある人を特別な人として捉えていたといえる。

しかし、障害を障害として捉え特別な対応をするのではなく、障害の有無にかかわらずすべての人に内在する特性(または個性)として捉えることが必要だ。

その人が家庭、会社などの集団で生活する場合は、障害認定の有無(障害手帳の取得の有無)とは違った、その人の個性として認知し対応する。

しかし、残念ながら、現実には障害(特性)を差別としてとらえている現実がある。

機能的な障害ではないが、原発事故でのいじめの問題などは、社会が生み出した障害と言える。原発事故後、避難してきた小学生が避難先の学校で黴菌がついているなどといういじめが発生した。その人は手記で学校も、先生も嫌いだと記している。

このような悲痛な出来事を無くすためには、社会全体が障害を差別としてでなく、その人の特性として捉え、障害の有無にかかわらず共同して生活していく社会づくりが必要だ。

こうした環境はにわかにはできないかもしれない。

例えば地震等の災害時の避難訓練を行うように、障害とその特性に対して、普段から理解と対応について学んでおかなければならない。

また、単に職場や一家庭だけの理解だけでなく、社会全体が障害とその特性について理解していかねばならない。これには成人になって障害についての学習をするというより、小中学校での教育の中で、障害について学ぶ必要がある。

近年は、車いす体験、手話体験、点字の知識などについては、行っているところが多い。しかし、外見だけでは分かりづらい障害についても学ぶことが必要だ。精神疾患のこと、発達障害のこと、高次脳機能障害のこと、認知症など。

そしてなにより大切なのは、障害という概念だけでなく、一人ひとり状態が違うことを知る。障害というよりその人にある特性なんだということ知る。そして、その特性のある人を集団の中で受け入れ、一緒にいる仲間たちと勉強、遊び、生活を通して共に歩んでいくことの大切さを学ばなければならない。

「障害のあるAさんと学ぶ」という認識ではない。「Aさんと学ぶ」ということが大切だ。でもAさんには障害があるのでちょっと配慮しようという理解・対応が必要だと思う。
コメント (1)
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