標高330mのモノローグ

富士山の10分の1、東京23区最高峰の10倍の山間に暮らして20年。地域の自然や思いを綴ります。

渋谷ハロウィーン騒動・・・。かつての新宿べ平連、土曜集会との違いは?

2018-11-01 21:35:16 | 日記
昨日はハロウィーンだった。渋谷では、懸念された騒動となったようだ。孫たちは、あらかじめ幼稚園でハロウィーンの飾り物をつくって、家に飾っていた。メディアでは、数日前から渋谷での混乱を危惧していた。
そして、予想されていたように13人の逮捕者がでた。痴漢、置き引き、喧嘩・・・。渋谷の場合は主催者がおらず、報道、口コミなどで集まってきたようだ。

そもそもハロウィーンはインド・ヨーロッパ言語族の古代ケルト人の間で行われていた行事で、秋の収穫を祝い、悪霊などを追い出す宗教的な意味合いがあったとのこと。今日の報道で、あるメディアはキリスト教の行事との説明があったが、違う。メディアも日本の"異様なハロウィーン"に毒されているようだ。

心理学の専門家の梅津順江さんは「物理的な貧困ではなく、心の貧困。SNSとかネットを通じて自己表現をするという方向にデジタルでは進みましたけど、リアルでは上手ではない。(人と知り合う)機会・チャンスがあるっていうのも、年に一度のハロウィーンに集中しているのではないか」という。

必ずしも目的を持てばよいという訳ではないが、渋谷では、仮面をかぶって見知らぬ人と出会い、楽しむ・・・高じて騒ぐという無目的の集団行動だ。そして、渋谷の街は放置されたゴミだらけ。今日の早朝からボランティアによって片付けられたとのこと。

50年も前になるが、土曜日の午後になると、新宿駅に人が集まり反戦歌を歌うフォーク集会が行われていた。場所は新宿駅西口の地下広場だった。私は当時小田急線と総武線を使って予備校に通っていた。新宿は乗り換え駅だった。ある時、べ平連(ベトナムに平和を!市民連合)らが主催するこの反戦集会を傍観者として見ていたことがあった。

前後の状況は覚えていないが、機動隊と集会参加者たちの争いが始まった。手には長い角棒を持ち、ヘルメットをかぶり、顔の口と鼻の部分はタオル(手ぬぐい)で覆った若者たちが、盾と棍棒を手にした機動隊員らに襲い掛かる。次は、機動隊が反撃する。また、学生らが反撃する。必死に学生の乱打から逃れようとする機動隊員・・・機動隊員も学生らも同じ年頃だった。この騒乱の一場面を鮮明に思い出す。私は地下広場に降りる階段の上からの傍観者だった。
やがて、1973年にアメリカ軍がベトナムから全面撤退し翌年にべ平連は解散したとのこと。

今回はこの時の反戦運動について、評論するつもりはないが、この時は主宰する側、参加者も強い主張と目的を持っていた。しかし、渋谷のハロウィーン騒動は、手ごたえを感じない。主張や目的の有無は別にして、若い人たちの個性、個人が発言できるもの、チャンスや場を設ける必要があると思う。
コメント
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