標高330mのモノローグ

富士山の10分の1、東京23区最高峰の10倍の山間に暮らして20年。地域の自然や思いを綴ります。

立冬、落ち葉掃きの「音」の味わい

2018-11-07 19:42:07 | 日記
「音たてて立冬の道はかれけり」という俳人岸田稚魚氏の句がある。
今日は立冬だ。しかし、アメリアでの中間選挙の熱気が太平洋を渡ってきたのかと思えるほど、暖かかった。今日のブログは、中間選挙のことを述べようかと思ったが止めた。

私の妻は今の時期になると、ほぼ毎朝、庭の落ち葉掃きを行う。狭い庭なので道を掃くほど音は大きくないが、枯れ落ち葉の音が冬というより、乾いた秋の風情を感じる。
今朝は、妻がタロ(犬)と散歩に出かけた後、私が庭の落ち葉掃きを行った。三分の一ほど掃いたところで、妻が戻ってきた。「今日は掃きにくいでしょう!」という。その通りで、昨日の雨で葉も路面も濡れていた。乾いた枯れ葉の音がしない。タロのシャンプーをするため、途中だが掃き心地も良くないので、この時点で終了した。

ご近所に小さな合宿所がある。この時期になると、宿の従業員が一人か二人で合宿所の敷地や周辺の道路の落ち葉掃きをする。この時の掃く音は、わが家の室内にいても、聞こえる。”サッッ、サッッ”と小切れのよいリズミカルな音は気持ちよい。

冒頭の俳句も、他人が掃く音を詠んだものだ。岸田稚魚氏は東京育ちで、結核を患った時期があった。自宅か病院で静養している時に、外から聞こえる「音」を詠んだ光景が浮かぶ。

私や妻も近隣の道路を掃く。竹箒とテミをもって出かける。私は新調したての箒で履くのが好きだ。箒を立てて使うのではなく、路面に対して可能な限り水平に近い形で使う。掃くというより、路面に軽く当て、はらうように使う。すると風が起きて、広範囲の路面の葉が舞いながら飛ぶ。一度の動作でなるべく多くの葉を掃けたときは、気持ちよい。私は、自身で落ち葉掃きを行う時は、音を味わうのではなく、一度の動作で多量の葉を掃くということに関心が向く。

特に落ち葉掃きの「音」は他人が立てるものの方が味わいがあると思う。
コメント
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