今日は、精神科医による発達障害の講演会があり妻と二人で参加した。そのプロローグとして、金子みすゞさんの作品「私と小鳥と鈴と」という詩の最後のフレーズが「本日(講演)の目標」として、紹介されたもの。「みんなちがって、みんないい。」と紹介し、「世知辛い世の中ですが、一人でも多くのみなさまに、少しでも心からそう思ってもらえますように・・・」との語りから、講演が始まった。
金子みすゞさんの詩を、引用したのは、「多様性が大切だ」と述べ、次のように続けた。(ただし、50分間の中に多くの重要な項目があったので、スライドの標語の簡単な説明だけで話された。なるべく講師の論点を述べたいと思うが、以下は、多少なり私の意訳が入っているのでご承知おきください)
多様性とは生き物の自然現象だ。(正規分布曲線のように)左右に少数が存在する。つまり自然は多様性をもっているのはあたりまえだ。そして、(発達障害など)少数の人々に、多数(に入るよう)を求めても無理だ。その状態を受け入れることが必要だ。また、様々な病気や老いは、すべての人にとって当然であるように、人ごとで済ませられない。発達障害も「わがこと」としてとらえることが必要。そして、多様性と対峙することばに「画一的」ということばがあるが、画一的であることは短期目標としてはあるうる。多様性を受け入れることは長い目で見れば、組織や集団の利益・発展となる。
多様性は、生き物としての生存戦力といえる。多様性があった方が(種)は残りやすいとのこと。
今や、日本では発達障害のブーム、バブル期と言えるかも? その功罪もある。功とは、「きちんとした支援や理解ができるようになってきたこと」。罪とは、「(発達障害だと)過剰診断されてしまうこと。すべてが脳機能の問題にされてしまうので、注意を要する(発達障害というより、社会的な問題などもあるので留意)。
ブームとはいえ、専門家や療育機関の不足という課題もある。
なお、文科省の調査によると、児童生徒の10%ほどは発達障害又はその傾向があるという。
この後、講義は、発達障害の分類、支援の方針・目標の話に入った。その中で私の印象に残った部分を抽出する。
支援の方針は、①特性の理解、かかわり方や環境の工夫と②二次障害の最小化と自己肯定感の尊重とのこと。支援の目標は「能力に応じた最大限の発達を遂げ、その人らしい生き方ができるように!」だとのこと。
自閉症スペクトラムは、臨機応変な対人関係が苦手で、自分の関心、やり方、ペースの維持を最優先させたいという本能的志向が強いことをいう。そして、「治療すべき病気」ではなく「支援すべき少数派」だ。欠落ではなく、一つの認知スタイル、脳のタイプとのこと。支援としては、場所とか時間を明示する、見て分かるように工夫(視覚的支援)、同時に複数の情報を出さない、感覚過敏への配慮(本人は気が付かない)、予定をなるべく変更しないなど。
二次障害とは、本人と周りとの相互作用、悪循環によって生じる情緒と行動の障害(反抗、暴力、不安、うつ、脅迫、被害的、自傷、不登校、ひきこもりなど)。
二次障害は不可避な面もあるが、なるべく最小化したいと述べ、大切なポイントとして「自己肯定感の尊重」として、解説された。
「自己肯定感」とは、ありのままの自分、等身大の自分、長所も欠点もある自分を、ほどほどにOKと思えること。
これは幼少期からの親子の愛着や信頼関係が基盤で、学童期後半から思春期にかけて、低下しやすいとのこと。
自己肯定感が低いと、さまざまな心の不調などがこじれやすい(二次障害)。自分にできることできないことの判断が難しい。負けや失敗を認めにくい。他人に相談することなどが苦手で孤立しやすい。→弱点を隠してしまう。
自己肯定感を育むためには、当事者のありのままの姿を知り、長所も弱点も丸ごと認めること。「ふつう」や他人と比べない。「禁止」より「望ましい行動」を目標(減点主義でなく加点主義で)。そして、感情まかせに怒らない。しかることとほめることのバランスが重要。性格とかでなく具体的な行動に対して効果的に対応。達成目標の25%は褒める。しかし、大人の押し付けや条件付きの愛情にならないように留意。
発達障害の子供に対して、イギリスの小児科・精神科医師は「ほどよい母親」という。つまり、明らかに完璧とはいえないお母さんの子が、まずまず正常に育っていくことができるとのこと。
また、ヘレンケラーの言葉も引用されていた。「障害は不便ですが、不幸ではありません」
以上、今日の講義のエキスを私の備忘録として書きました。悪しからず。
金子みすゞさんの詩を、引用したのは、「多様性が大切だ」と述べ、次のように続けた。(ただし、50分間の中に多くの重要な項目があったので、スライドの標語の簡単な説明だけで話された。なるべく講師の論点を述べたいと思うが、以下は、多少なり私の意訳が入っているのでご承知おきください)
多様性とは生き物の自然現象だ。(正規分布曲線のように)左右に少数が存在する。つまり自然は多様性をもっているのはあたりまえだ。そして、(発達障害など)少数の人々に、多数(に入るよう)を求めても無理だ。その状態を受け入れることが必要だ。また、様々な病気や老いは、すべての人にとって当然であるように、人ごとで済ませられない。発達障害も「わがこと」としてとらえることが必要。そして、多様性と対峙することばに「画一的」ということばがあるが、画一的であることは短期目標としてはあるうる。多様性を受け入れることは長い目で見れば、組織や集団の利益・発展となる。
多様性は、生き物としての生存戦力といえる。多様性があった方が(種)は残りやすいとのこと。
今や、日本では発達障害のブーム、バブル期と言えるかも? その功罪もある。功とは、「きちんとした支援や理解ができるようになってきたこと」。罪とは、「(発達障害だと)過剰診断されてしまうこと。すべてが脳機能の問題にされてしまうので、注意を要する(発達障害というより、社会的な問題などもあるので留意)。
ブームとはいえ、専門家や療育機関の不足という課題もある。
なお、文科省の調査によると、児童生徒の10%ほどは発達障害又はその傾向があるという。
この後、講義は、発達障害の分類、支援の方針・目標の話に入った。その中で私の印象に残った部分を抽出する。
支援の方針は、①特性の理解、かかわり方や環境の工夫と②二次障害の最小化と自己肯定感の尊重とのこと。支援の目標は「能力に応じた最大限の発達を遂げ、その人らしい生き方ができるように!」だとのこと。
自閉症スペクトラムは、臨機応変な対人関係が苦手で、自分の関心、やり方、ペースの維持を最優先させたいという本能的志向が強いことをいう。そして、「治療すべき病気」ではなく「支援すべき少数派」だ。欠落ではなく、一つの認知スタイル、脳のタイプとのこと。支援としては、場所とか時間を明示する、見て分かるように工夫(視覚的支援)、同時に複数の情報を出さない、感覚過敏への配慮(本人は気が付かない)、予定をなるべく変更しないなど。
二次障害とは、本人と周りとの相互作用、悪循環によって生じる情緒と行動の障害(反抗、暴力、不安、うつ、脅迫、被害的、自傷、不登校、ひきこもりなど)。
二次障害は不可避な面もあるが、なるべく最小化したいと述べ、大切なポイントとして「自己肯定感の尊重」として、解説された。
「自己肯定感」とは、ありのままの自分、等身大の自分、長所も欠点もある自分を、ほどほどにOKと思えること。
これは幼少期からの親子の愛着や信頼関係が基盤で、学童期後半から思春期にかけて、低下しやすいとのこと。
自己肯定感が低いと、さまざまな心の不調などがこじれやすい(二次障害)。自分にできることできないことの判断が難しい。負けや失敗を認めにくい。他人に相談することなどが苦手で孤立しやすい。→弱点を隠してしまう。
自己肯定感を育むためには、当事者のありのままの姿を知り、長所も弱点も丸ごと認めること。「ふつう」や他人と比べない。「禁止」より「望ましい行動」を目標(減点主義でなく加点主義で)。そして、感情まかせに怒らない。しかることとほめることのバランスが重要。性格とかでなく具体的な行動に対して効果的に対応。達成目標の25%は褒める。しかし、大人の押し付けや条件付きの愛情にならないように留意。
発達障害の子供に対して、イギリスの小児科・精神科医師は「ほどよい母親」という。つまり、明らかに完璧とはいえないお母さんの子が、まずまず正常に育っていくことができるとのこと。
また、ヘレンケラーの言葉も引用されていた。「障害は不便ですが、不幸ではありません」
以上、今日の講義のエキスを私の備忘録として書きました。悪しからず。