標高330mのモノローグ

富士山の10分の1、東京23区最高峰の10倍の山間に暮らして20年。地域の自然や思いを綴ります。

「枯葉」は、紅葉とは異なるそれなりの味わいがあって趣がある

2018-11-05 20:08:30 | 日記
今日は、時折小雨や日も差していたが、曇りの一日だった。

孫の一人が、インフルエンザの予防接種後の後遺症か、喘息様の咳がでて、保育所を休むという。朝、息子から電話があり、母親が仕事なので子守して欲しいとのこと。

通院後、母親が連れてきた。妻は種まきが遅くなってしまうからと昼食作り以外は畑仕事。私が孫を見ていた。普段なら私と遊ぶのだが、今日は比較的おとなしかった。安静にしていようと、本人も意識していたのか、いたずらもせず昼食時以外は椅子に座ってテレビアニメを見ていた。幸いほとんど症状はなく元気そうだったので、ホッとした。午後3時前、孫は母親が来るや否や玄関を飛び出て、母親の車に乗っていた。母親は荷物を取りに家に上がってきたのはその後だった。ジジに安静を監視されながらの一緒の時間は退屈だったんだろう。

さて、孫が帰ったのは15時近くになっていたので、早めだが暗くならぬうちにとタロ(犬)の散歩に出かけた。
いつもより時間が早いため、車や人に会わない。曇り空で風もなく、穏やかであったが、その静けさが不気味にも感じた。坂の途中で足を止めタロを待たせ、360°見渡してみた。何も動いていない。一層の静寂さを感じた。

すると、今まで関心が向かなかったものに注意が向いた。
「枯葉」だ。いわゆるモミジの紅葉やイチョウの黄葉とは違った、渋い趣ある情景だ。
幾つかの「枯葉」を風景から切り取ったので、僭越ながら紹介する。


杉の葉の先端だけが色付いている。まるで花が咲いているようだ。


これも杉の葉で一本の木なのに、葉の生えている条件の違いで、枯れるもの枯れないもの、枯れ方の異なるものが混在していて、面白い。杉や檜は針葉樹で常緑樹だが、よくみると枯れる葉もあることを認識させられる。


檜の葉の枯葉。わが家は屋根の高さを超える杉や檜が家の近くにある。数本は切ったのだが、まだ残っている。これら枯葉が落ちてきて雨どいが詰まる。年に2回は雨どいの清掃が必要だが、実際はそうもいかない。雨どいの詰まりは厄介な事案だ。


太い杉の木にまといつくツタ。一枚の葉の周囲から枯れていき、真ん中は緑が残っているところが、趣がある。


擁壁に張りついたツタが枯れ、残ったツタの茎が不規則に這って枯葉も残っている。まるで壁画のようだ。
コメント
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